あるそそっかしい男が浅草のとある長屋の突先までやってまいりますと、大変な人だかりでございまして・・・
粗忽長屋を聞くなら「柳家小さん」
柳家小さんの「粗忽長屋」は、勘違いと滑稽さが絶妙に絡み合う、江戸の庶民の姿を描いた一席です。登場人物たちのとぼけたやり取りに、小さんの温かみある語りが加わり、笑いとともにどこかほのぼのとした気持ちにさせてくれます。古典落語の魅力を存分に味わえる作品です。
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あらっ、ずいぶん人だかりが集まってんな、なんだこれ・・・

すいません!これ何やってんでございます?

いやあたくしもよく分からないんでございますけれどもね、なんでも行き倒れだそうですよ?

え?

行き倒れだそうです!

生き倒れ!?あたくし見たことないんですよ!なんとか見られませんかね?

いやでもこの人だかりですからねぇ・・・

あぁ弱っちゃったな、あっ!こういう時は人の股ぐらをちょいとくぐって・・・

はいはい!ごめんなさい!ごめんなさい!通りますよ!

あの皆さんねぇ、いつまで見てたって変わるもんじゃないんですから・・・

お前さん変なことから顔出すんじゃありませんよ?

あっ、すいません、遅くなりました・・・

いや別に待っちゃおりませんよ・・・

お前さん今来たところ?じゃあちょうど良かった!お前さんこちらへ来てご覧なさい?

すいませんなんかあの生き倒れだそうで!

えぇそうなんですよ・・・

これからやるんですか?

え?なんだい?

生き倒れなんですよね?まだ始まらないんですか?

・・・う~んと、めんどくさい人来ちゃったな・・・

あの行き倒れって分かんないかな、つまり、死んでるんですよ!

え?生き倒れでしょ?

だから死んでるんですよ・・・

生き・倒れで死んでる!?とんちですか?

とんちじゃありませんよ・・・分かんない人だな・・・・

とにかくちょいと見てごらんなさいよ・・・

あぁそうですか、めくっちゃっていいんですか?

あぁ!どうしたんだおめえ!

どうしたんだってことはお前さんこの人を知ってるのかい?

え?誰が?

いやお前さんだよ・・・お前さんとあたししか話をしてないんだろう・・・

いや知ってるどころの話じゃありません、これ熊の野郎ですよ!

熊の野郎って言ってるところを見ると、知り合いかい?

え?誰の?

お前さんのだよ!あたしとお前さんしか話をしてないだろう!?

ええ!そりゃあもううちの隣に住まってる野郎ですよ!

お隣さん!?

そうなんですよ!もうね、兄弟同様の付き合いなんですよ!

生まれたときは別々だが死ぬときは別々だってそういう仲なんです!

じゃあごく当たり前の仲?

ごく当たり前の仲なんです!どうしてこんなことになったかなぁ・・・

おい!おい!しっかりしろ!

しっかりしろったって死んじゃってるんですから・・・

なんでこんなことになっちゃったんだろうなぁ・・・

おい!おめえが殺したのか!?

いやあたしじゃありませんよ・・・

とにかくね、この人の身元が分からなくて困っていたんだが、よかったよかった・・・

じゃあお前さん今からこの人の家族の方呼びに行きますか?

いやいや!とんでもない!家族もなんにもない!

身寄り頼りもない本当に寂しい野郎なんです!

あっしはね、兄弟同様で付き合ってるようなもんですがね!

あぁそうですか、身寄り頼りがなんにもない、それは困りましたなぁ・・・

まあいつまでもこうして寝かしておくわけにはいかないから、どうだろうお前さん、その兄弟同様の付き合いってんですから・・・

これをちょいと引き取ってもらうわけにはいかないかな?

え?あたしがですか?いやぁまあねぇ・・・兄弟同様と言っても赤の他人ですからね!

言ってることがバラバラじゃないか・・・まあとにかくね、お願いしたい!

お願いしたいったって、死ぬような野郎じゃないんですよ!

今朝もこの野郎に会ってね?

どうだ浅草行かねえか!って言ったら『いやめんどくさいからいいよぉ・・・』なんてこと言いやがってね?

それがまさかこんなことになるとは思わなかった!

え?え?じゃあお前さん今朝この人に会ったの?

あ!そう!じゃ違う違う!あのね、この人はね昨夜からここに倒れてたんだから!?

そうでしょ?いやあいつね、そういうところがありますよ!

だからなんでしょうね、昨夜ここで倒れたのに気づかないでうちへ帰ってきちゃったんでしょうね!?いやあいつね、そういうところがありますよ!

うん、いやだからあのその人とこの人は違うという考えに至らないかな?

だって熊の野郎ですよ!

いやこの人は熊さんじゃなくて他の人!

いや熊の野郎で間違いない!お前熊の何を知ってんの!?

昨日今日の付き合いでしょ?あっしは長い付き合いなんですよ!

長い付き合いの熊ってんですから、これほど間違いないことはないでしょう!?

いやお前さんが一番心もとないんだよ・・・そんなわけ・・・

うるせえなこん畜生!あぁ分かりました!

そこまで言うんだったら当人連れてきますよ!

・・・ん?なに?

当人連れてきます!当人を連れて来て、これお前だろ?あ!俺だ!と言えばことが丸く収まりますからね!ちょいと待っててくださいな!

あ、ちょっとお前さん待って!お前さん!

みなさんも笑ってないで、止めてくださいよ!

えへへ・・・あそこまで言うってことは、連れてくるんじゃないですかねぇ?

馬鹿なこと言うんじゃない!お前さん早く帰ってらっしゃい!
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柳家小さんの「粗忽長屋」は、勘違いと滑稽さが絶妙に絡み合う、江戸の庶民の姿を描いた一席です。登場人物たちのとぼけたやり取りに、小さんの温かみある語りが加わり、笑いとともにどこかほのぼのとした気持ちにさせてくれます。古典落語の魅力を存分に味わえる作品です。
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しょうがねえなぁ熊の野郎は本当に・・・

おい!熊!熊!

はっはっは・・・兄貴何やってんだろうなぁ・・・

空き家叩いて熊ぁ!熊ぁ!って怒鳴ってやがらぁ・・・

そそっかしいんだからねぇ・・・大体この中に熊なんて野郎は・・・

あ、俺だ・・・

兄貴!兄貴!俺こっち!

この野郎いつの間に引っ越しやがったこん畜生!

ごめんね?

ごめんねじゃねえやこん畜生!おめえとんでもねえことやりやがったな?

何が?

何がじゃねえよ、な!?よく聞けよ!?いいか?おめえなぁ・・・

浅草でもって・・・昨夜なぁ・・・死んでるよ・・・

死んでるよ・・・

へ?俺が?死んでる?

死んでた・・・

い、いやだって俺死んだような心持ちしねえんだけど・・・

生意気なこと言ってんじゃねえよ!今まで死んだことがあんのか?ねぇだろ!?

ねえくせに死んだやつの心持ちが分かるかよ!?俺見たもん!おめえだったよ!

あ、そう・・・兄貴が言うんだったら間違いねぇか・・・で、元気だった?

元気じゃねえよ・・・死んでるんだから・・・

うわぁ・・・えぇ・・・どうしよう?、元気だった?

どうしようじゃねえよ!本当に・・・なんでそんなところで死んでるんだよ!・

何でって言ってもなぁ・・・いやぁそうかなぁ・・・

確かに昨夜浅草に飲みに行ったんだよ、うん・・・

ただその後酔っ払ってよく覚えてねえんだ・・・

それだよ!?それ!

悪い魚かなんか食ったのが当たっちまってよ!それで倒れたのに気が付かねえでうちに帰ってきちゃったんだよ!

なるほど、それだったら辻褄合うな・・・

な!?なら行くぞ!

どこに?

浅草にだよ!

え?何しに?

死骸を引き取りに!

誰の?

おめえのだよ!

俺の?いやぁでも今更これ私の死骸ですなんて、決まりが悪くない?

決まり悪がってどうすんだ!向こうでも困ってんだ身元が分からなくて!

たまたま俺が通りかかったから良かったんだ!はなは向こうも喜んでたんだけどな?

そのうち死骸持っていかれるのもったいねえ!とこう思ったんだろうな・・・

あんまりうるせえからじゃあ当人連れてきますよ!って言ったら向こうも当人って言葉に思わず言葉がぐっと詰まったってやつだ・・・

だからおめえが行きゃ、全てことがまるく収まるってやつだ!

本当にしょうがねえんだから全くどうも・・・

なんでそんなとこで倒れてんだよ!おめえが行きゃ、全てことがまるく収まるってやつだ!

いやぁ気が付かなかったなぁ・・・これからどうすんの?

弔いだ弔い!

うわぁ・・・弔いかぁ、兄貴も手伝ってくれる?

当たり前だよ!おめえも色々やらなくちゃいけねえぞ!?

へ?俺が?

そうだよ、いらっしゃった人にご挨拶しなきゃいけねえだろ?

うわぁ色々忙しいんだな・・・

忙しいんだよぉ!ほら見ろこの人だかり!

ちょっとそこどいて!

どいて!

どけってんだこん畜生!当人連れて来たんだから!

・・・本当に連れてきましたよ!?こっちおいでこっちおいで!

どうも!お待たせしました!

違ったでしょ!?

いやそれがね!話をしたら死んだような心持ちがしねえなんて、しらばっくれてやがったんですがね?

なに恥ずかしがってんだ、いいから来いってんだ、こっち来いってんだ!

ほらほらほら・・・あの方に色々お世話になったんだから、ちゃんとお礼申し上げて!

すいません!なんか昨夜あたしがここで倒れちゃったそうで・・・

馬鹿が一人増えちゃったよ・・・

あのねぇ!違うんだから!あなたも見てごらんなさい!見れば分かりますから!

いえ、いいです・・・自分の死んだ顔なんてみたくありません・・・

なに馬鹿なこと言ってんですか!いいからほら、ごらんなさい!

ほら!向こうでも心配してんじゃねえか!いいからほら見ろ!見ろ!おめえだろ?

俺!?

おめえだよ!

えぇ俺こんなに人相悪かったかなぁ・・・

そりゃあ一晩でもって人相も悪くなるだろう!?

でもさぁ・・・こんなに目腫れぼったかったかなぁ・・・

んん?だから目を腫れぼったくしたらおめえだろ!?

・・・そう言われてみると・・・

騙されるんじゃないよ!この人はお前さんじゃないんだから!

うるせえなぁ!もう一押しなんだから黙ってろおめえは!

ほら!おめえだろ?おめえだろ!?

・・・

・・・俺だ!俺だぁ!

そうだろ?

俺だぁ・・・やい!俺ぇ・・・どうしてこんなところで死にやがったんだ本当に・・・

こんなことならもっと美味えもん食っときゃよかった・・・

しょうがないね、お前さん・・・

自分で見て分かんなきゃいけないだろ!?お前さんじゃない・・・

うるせえなこん畜生!当人が見て当人だ!って言ってんだ!これほど間違いねえことねえじゃねえか!

さあさあ!運び出そう!

でも兄貴・・・わけわかんなくなっちゃった・・・

何が?

何がってね、抱かれてんのは確かに俺なんだよ・・・

じゃあ抱いてる俺はどこの誰なんだ?
粗忽長屋を聞くなら「柳家小さん」
柳家小さんの「粗忽長屋」は、勘違いと滑稽さが絶妙に絡み合う、江戸の庶民の姿を描いた一席です。登場人物たちのとぼけたやり取りに、小さんの温かみある語りが加わり、笑いとともにどこかほのぼのとした気持ちにさせてくれます。古典落語の魅力を存分に味わえる作品です。
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粗忽長屋を聞いての感想
もしかしたら、初めて聞いた人は『なんだこれ?最後の最後まで意味わからねえ!』と思った人もいると思います。
私も最初聞いたときには、全く意味が分からなくて動揺しました。
この粗忽長屋は、本当に粗忽(そそっかしい)な物語なんだということを知らないと理解しにくい落語だと思います。
兄貴も熊も本当に馬鹿でどうしようもないわけです。
そこに死んでいる熊(この死人は熊ではありませんが)がいるのに、熊の家に行って、熊を呼んで来ようとするのは、普通の人じゃ考えられません。
馬鹿の次元が一次元違っています。
そして、熊も最高に粗忽な人ですから、兄貴も熊もまともではないということを頭に入れるとぐっと理解しやすくなるのではないかと思います。
『常識ではこうだ』という気持ちで聞くと、粗忽な人の行動に全く理解を示すことができません。
偏差値3のやつでも理解できないアホさ加減の奴が出てくる落語だと思えば、常識を外して聞くことが出来ます。
例えば、私たちの頭の中には『自分という人間としての存在はこの世に一つしかない』と勝手に思っています。
しかし兄貴や熊の中では『たまたま似ている奴がいる、あぁ!こいつはあいつだな!』とこの世に同じ人間が二人以上いても何ら不思議ではないという中で生きています。
もしかしたら、本当にあの死人は熊さんだったのかもしれません。
周りの人は『まさか熊さんという同じ人間がこの世に二人もいるはずがない』という固定観念に縛られていますので、当然兄貴や熊さんの思考が理解できるはずもなく、むしろ自分達と次元の違う考えに対して『馬鹿げている』と笑います。
馬鹿と天才は紙一重と言いますが、ごくありふれた本当の常識にさえとらわれないという点では本当にその通りだと思います。
『何を言ってるんだ君は馬鹿か』と言われるかもしれませんが、この考えは結構大切だと思っていて、普通に生きてるとそれが当たり前になって、疑わなくなります。
疑わなくなるとその状況に甘んじて、視野の狭い人間になると思うからです。話がそれましたね。
そして、最後のサゲ(オチ)の部分ですが、ここも、ん?と首を傾げた人もいると思います。
普通の人であれば、自分が抱いているこの死人は自分ではないということに気づきます。
しかしながら、熊さんは本当にどうしようもないくらい馬鹿で信じやすいので、兄貴に言い寄られたのもあって死人こそ自分なんだと確信してしまいます。
そこで、『あれ?この死人が俺だとすると、今喋ってる俺はどこの誰なんだろう?』と自分の存在を疑ったというオチになっています。
真面目であれば真面目であるほど、馬鹿の気持ちは分からないものです。
粗忽長屋を理解できれば、あなたも馬鹿野郎の気持ちが少しは分かるかも・・・
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