落語【浜野矩随】台本 吹き出し風 

落語 台本

名人と言うことをよく申しまして、昔言っていた名人と今使われる名人というのは、だいぶ差があるような気がいたします・・・

うんと高い位置に名人というものがありまして、近頃はわりと簡単に名人名人と言います・・・

『~名人会』とか『~名人劇場』なんという、これは名人が出てくるんだろうな~!と思ってると、そうでもない人まで出てくる・・・

よく昔の話で、名人というのは逸話というものが多いですな・・

例えば、うんと名人の怪談話を聞いてて、聞いてるときはちっとも怖くないんです・・・

「話を聞き終わって、家に帰る途中でもって怖くなって怖くなってもう~ブルブル震えて動けなくなっちゃった~」なんということを聞くと、これは名人だなと思いますな・・・

科学的には説明できない何かがこう・・ふわ~っと出てくるんですな・・

そういうのが名人というような気がいたします・・・

ただ、今はそうじゃない・・・だんだんと名人という概念が変わって来ているようでございますが・・・

江戸時代のことですが、腰元彫りの名人で浜野矩康(のりやす)という人がおりまして、腰元彫りというのは、刀の目貫ですとか、あるいは小柄なんかに飾りをするために彫刻をする・・・

これが腰元彫りでございます・・・

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腰元彫り

この人の右に出るものはいないというほどに大変な名人だったそうで・・・

五十何歳かで亡くなりまして、矩随(のりゆき)という倅さんがいる・・・

おとっつあんが全盛の時には結構な家に住まってそして、大勢の弟子にちやほやされて育ってまいりました・・・

おとっつあんが亡くなる途端に弟子はちりじりバラバラになっちゃって、家は人手に渡ってしまう・・・

今ではおっかさんと二人で八丁堀の長屋住まい・・・

ほそぼそと暮らしておりました・・・

たいへんにこの矩随さんという人は親孝行でございまして、おっかさんに苦労をさせまいというので、一生懸命に彫って仕事をしている・・・

ところが・・・

この矩随さんという人が生まれついての不器用な人で、そこへもってきて仕事の才がないと言いますか、道が合ってないと言うんでしょうか・・・

どうも一生懸命努力をしているんですけれども、ちっとも腕の方が上がらない・・・

まずい・・・おとっつあんが上手い、倅がまずいというのは・・・嫌な話でございまして・・

もう下手を通り越してひどいというやつですな・・

一生懸命習い覚えた腰元彫りを一生懸命やってる・・

それでその時分、腰元彫りをやっている人達はずいぶん仕事があったそうで・・

本来は今言った通り、刀に対しての仕事なんですけれども、それだけじゃなくて昔は煙草入れ、あるいは紙入れてえものを持つ・・

これに金具というものがちゃんとついております。そういうものにみんなこっていて、彫刻なんかがしてある・・・

ですから、色んな仕事が入って来る・・・

腕が良ければいくらでも儲かる・・・

ところが今言った通り、腕が良くないもんですから、始めのうちは義理でもって矩随さんが持ってったものを買ってくれていたんですが、駄作ばかりなもんですからとても買っちゃいられねえってんで、もう付き合いも何もない・・・

誰も買ってくれなくなっちゃった・・・

でもその中でたった1人の買い手はと申しますと、芝神明前で袋物屋を営んでおります「若狭屋甚兵衛」という人でこの人がたった一人買ってくれている・・・

浜野矩随を聞くなら「三遊亭圓楽」

三遊亭圓楽の「浜野矩随」は、職人の意地と誇りを描いた感動的な一席です。矩随の人柄と葛藤を、圓楽が巧みに表現し、聴く人の心を揺さぶります。人間ドラマの深さと温かさが詰まった、名作中の名作です。

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若狭家
若狭家

矩随さん、今日は何を持ってきたんです?

浜野矩随
浜野矩随

はい・・・ありがとうございます・・・

浜野矩随
浜野矩随

今日はあの、この・・・小柄の柄に猪を彫ってまいりました・・・

若狭家
若狭家

猪?・・・これが?・・う~ん・・・

若狭家
若狭家

お前さんにこれを猪と言われるとね、あぁそうなのかなと一生懸命に思って思って思い込んでみると少~し猪らしいところがある・・・

若狭家
若狭家

それ聞かないでいきなりひょいと見るってと、どう見たってこれ豚だよ?

若狭家
若狭家

えぇ?矩随さん・・・お前さんもどうも困った人だねぇ・・・

若狭家
若狭家

もう少しなんとかならないのかい?ちっとも腕が上がらないじゃないか・・・

若狭家
若狭家

あたしはお前さんがなんとかなるんだったら一生懸命なんとかしようとこっちも・・・

若狭家
若狭家

ってそう思ってるんだけれども・・・

若狭家
若狭家

・・・ずいぶんと長いことやってるんだけどなぁ・・・

若狭家
若狭家

少しは腕が上がってこなくちゃいけないんだ・・・

若狭家
若狭家

そりゃあね、お前さんのおとっつあんのね?矩康さんのようになんてそんな高望みはあたしはしないんだよ?

若狭家
若狭家

なんでもいいからもう少し形になるようになんとかならないのかぁ・・・

若狭家
若狭家

本当にお前さんは・・・まずいねぇ・・・

浜野矩随
浜野矩随

あいすいません・・・

若狭家
若狭家

こういうことは謝ったってしょうがないんだよ?

若狭家
若狭家

これねぇ、よ、よくこんなものを彫ってねえ!

若狭家
若狭家

人の所に持ってこようという料簡になれるのがあたしは不思議でしょうがないんだ!

浜野矩随
浜野矩随

お恥ずかしゅうございます・・・

浜野矩随
浜野矩随

でも・・・他じゃどなたも買ってくださいませんので・・・

浜野矩随
浜野矩随

こちらさまだけが頼りなんで持ってくるんです・・・

若狭家
若狭家

そりゃそうだよ・・・買わないよ?

若狭家
若狭家

こんなものは!えぇ?

若狭家
若狭家

あたしだって本当は・・・買いたく・・ないんだよ?

若狭家
若狭家

だけどお前さんがちゃんと持ってくれば、あたしはいつだって二朱でちゃんと買ってますよ?

若狭家
若狭家

だからうちの戸棚の所開けてごらんなさい?

若狭家
若狭家

箱の中にお前さんの作が山のようにある・・・

若狭家
若狭家

邪魔でしょうがないんだ、なんとか他に使おうと思うんだけれども、うちでこしらえてるもんに悪いがお前さんの金具は合わないんだ・・・ぶち壊しになっちゃう・・・

若狭家
若狭家

安いもんだったらことによるってと合うかもしれないから、そういうものを作ってる、扱っている所へなんとか回そうとして

若狭家
若狭家

うちに出入りの人に、これ持ってってくれないか?って言ったら、『いやとても買えません』

若狭家
若狭家

いや買わなくてもいいんだ!ただでもいいから人に持ってって見せておくれって言ったら、『いえ!とんでもございません!ただでも困ります!』って誰も持っていかねえんだよ・・・

若狭家
若狭家

ただでも困るような代物をあたしが二朱で買っているのは、お前さんの芸に、仕事に対して買っているんじゃないんだよ?

若狭家
若狭家

お前さんて人は本当に親孝行でおっかさんをね、たいそう大事にする・・・

若狭家
若狭家

はたで見ていても気持ちがいい!

若狭家
若狭家

その奉公の務めに対してあたしは二朱というお金を払っている・・・こりゃあ義理だよ?

若狭家
若狭家

義理ってのはそうは長くは続かないもんだ・・・もうどうにもならないんだから・・・

若狭家
若狭家

お前さん・・・まだ料簡は変わりませんか?

浜野矩随
浜野矩随

・・・と申しますと?

若狭家
若狭家

ほら、こないだ話をしたじゃないか、いつだったかお前さんが狸を彫ってきた・・・

若狭家
若狭家

あたしが見るとどうしても河童に見えるんだ・・・

若狭家
若狭家

これは河童だね?って聞いたら、狸ですって言うんだ・・・

若狭家
若狭家

他の者にも見せたよ?みんなが河童だってのにお前さん1人が狸だ狸だってんだ・・・

若狭家
若狭家

そりゃあお前さんもあの時は意地があるから狸と言い張ったんだろうけど、これを狸と言うような目じゃろくなものは彫れないんだ・・・

若狭家
若狭家

「見込みがないからあきらめなさい、なにか他の商売を始めなさい」とあたしはそう言ったじゃないか!

若狭家
若狭家

それというのがねぇ、人間というものは自分で生きていく・・・

若狭家
若狭家

食べるものだけは自分で稼がなくちゃいけないもんでしょ?

若狭家
若狭家

それをねぇ、お前さんは自分で食べるのも自分で稼ぐ腕がなくって人に頼って、人に迷惑をかけて自分だけがのうのうと生きているというのは・・・

若狭家
若狭家

これは図々し過ぎやしないかい?

若狭家
若狭家

矩随さん・・・ねぇ?

若狭家
若狭家

だから他のもんをやってごらん!?彫り物はもうだめなんだから!

若狭家
若狭家

ね?他の物をやるってと何かお前さんに向いているものがあるかもしれない・・・ねぇ?

若狭家
若狭家

例えば・・・大道商人でもなんでもそうだい!

若狭家
若狭家

食うだけは稼げるんだよ!お前さんこれやってると食うだけも稼げない!

若狭家
若狭家

ね?だからよしなってんだよ・・・

若狭家
若狭家

お前さんそれ諦めてね?なんか商売を始めようとする気になったんだったら、あたしはお前さんのおとっつあんの世話になっているから御恩返しのつもりで商売の元手というものは出してやるんだから・・・

若狭家
若狭家

どうだい矩随さん・・・

浜野矩随
浜野矩随

・・・へぇ・・ありがとうございます・・・

浜野矩随
浜野矩随

おっしゃることはよく分かるんでございます・・・

浜野矩随
浜野矩随

旦那・・・あたしは彫り物師じゃだめですかね?

若狭家
若狭家

だめだよぉ!いけない!って言ってんのにまだ分かんないかねぇ!

若狭家
若狭家

どういったらいいんだろうねぇ・・・お前さんは・・・

若狭家
若狭家

あのねえ、そりゃあ世間ではお前さんのことみんなで親孝行だとか言うよ?

若狭家
若狭家

確かにお前さんはおっかさんを優しくしている大事にしている結構だ・・・

若狭家
若狭家

だけどおっかさんには優しいけれども、おとっつあんにはどうだい?

若狭家
若狭家

亡くなったお前さんのお父さん、名人・矩康という人の遺灰には泥を塗ってるんだよ?

若狭家
若狭家

お前さん親孝行のつもりで一生懸命腰元彫りだなんてんでやってるけど、それが親不孝になってんのがお前さん分からないかい?

若狭家
若狭家

よしなってんだよ!やってるってとこれが良くないことなんだから!

若狭家
若狭家

おとっつあんのことにまで関わりが出てくるんだから!

若狭家
若狭家

ね?あの人の倅がこれかい?ってことになる・・・

若狭家
若狭家

だからよしなってんだよ・・・

若狭家
若狭家

どうしても商売替えが出来ないってんだったら・・・もう・・・あたしもなんにも言わないよ?

若狭家
若狭家

ただ、一言言おう・・・

若狭家
若狭家

死んじまいな

浜野矩随
浜野矩随

・・・え?

若狭家
若狭家

死になってんだよ!生きてたってしょうがない!

若狭家
若狭家

あたしがお前さんだったら死ぬよ?

若狭家
若狭家

死んだ方がね、人に迷惑がかからないしね、親孝行にもなるんだから!死んだ方がいい!

若狭家
若狭家

・・・はぁ・・・川にでも飛び込むかい、それとも、腹でも切るかい?

若狭家
若狭家

もっとも腹切るってと血が出て痛い・・・

若狭家
若狭家

お前さんにはとても出来なかろう、そうなるってと後はもう首をつるとか毒を入れるでもなんでもするんだねぇ・・・

若狭家
若狭家

えぇ!?どうする?

浜野矩随
浜野矩随

・・へぇ・・・

浜野矩随
浜野矩随

よく・・・考えさせていただきます・・・

若狭家
若狭家

そうかい、まあなんでもいいや・・・今日のこれはあたしがいただいておくよ?

若狭家
若狭家

はい、これ二朱あるから・・・持っていきなさい・・・

若狭家
若狭家

その代わりね!先に断っておくけれども、うちだって金のなる木があるわけじゃないんだよ?

若狭家
若狭家

この次来た時には買うかどうかは分からない・・・

若狭家
若狭家

それをよ~く考えて!ね?それ持って早くうちへ帰んな!

浜野矩随
浜野矩随

よく・・・考えさせていただきます・・・

浜野矩随
浜野矩随

おっかさん・・ただいま帰りました・・・

おっかさん
おっかさん

あぁおかえり!遅かったじゃないかさぁ、矩随・・・

おっかさん
おっかさん

今お湯が湧いたから、すぐにおっかさんお茶を入れてあるからね、すぐにご飯をお上がり?

浜野矩随
浜野矩随

・・・へぇ・・ありがとう存じます・・・

おっかさん
おっかさん

どうしたい?なんかあったのかい?

浜野矩随
浜野矩随

へ?

おっかさん
おっかさん

どうしたんだい?

浜野矩随
浜野矩随

へ・・・あぁ・・・いえ、何でもございません・・・

おっかさん
おっかさん

そんなことはないよ!?お前いつもと様子が違うじゃないか!

おっかさん
おっかさん

どうしたんだい!?え!誰かと喧嘩でもしたのかい?

おっかさん
おっかさん

それとも若狭屋さんで何かあったのかい?話をしておくれ!

浜野矩随
浜野矩随

いやぁ・・・そうじゃないんです・・・

浜野矩随
浜野矩随

どうも風邪を引いたらしくってちょいと熱っぽいもんですから・・・

浜野矩随
浜野矩随

おっかさんにはなんか変にうつるんじゃないかと思います・・・

おっかさん
おっかさん

何を言ってるんだよ・・・お前のあたしは母親じゃないか!

おっかさん
おっかさん

お前のことはなんでも分かるんだよ?

おっかさん
おっかさん

具合が悪くて変に見えるのか、それともなんか考え込んでるのか、そんなことはよ~く分かる!

おっかさん
おっかさん

隠したってダメだよ!えぇ!話をしてご覧!

おっかさん
おっかさん

お前さんとおっかさん二人で隠し事は嫌だよ!話をし!何があったんだい!

浜野矩随
浜野矩随

・・・えぇ・・それじゃあ・・お話をいたします・・・

浜野矩随
浜野矩随

・・・今日・・・若狭屋さんで・・・

浜野矩随
浜野矩随

死ね・・・って言われました・・・

おっかさん
おっかさん

・・死ね?・・・どうしてまた?

浜野矩随
浜野矩随

若狭屋さんがおっしゃることには、「自分が生きるのに食べるのだけは自分で稼がなくちゃいけない・・・

浜野矩随
浜野矩随

それで、お前は彫り物の道じゃとてもじゃないが、稼ぐことができないから何か他の商売をやれ」ってこうおっしゃるんです・・・

浜野矩随
浜野矩随

お前さんが腰元彫りに一生懸命になってるってと、おとっつあんの遺灰に泥を塗るんだって・・・

浜野矩随
浜野矩随

だから他の商売替えをしなくちゃいけない・・・

浜野矩随
浜野矩随

それができないようだったら死んじまえ・・・って言われました・・・

浜野矩随
浜野矩随

その方が親孝行だってんです・・・

浜野矩随
浜野矩随

いえ、若狭屋さんのおっしゃることはいちいちごもっともなんでございますが、ただ・・・

浜野矩随
浜野矩随

あたしは他の商売なんかとても出来ません・・・

浜野矩随
浜野矩随

といって、彫り物師としてこれ以上、腕が上がるとも思えない・・・

浜野矩随
浜野矩随

ですから・・・おとっつあんに申し訳がないもんですから・・・

浜野矩随
浜野矩随

死んであたしは・・・お詫びをしようと思っております・・・

浜野矩随
浜野矩随

今夜あたしは首をくくって死んでしまうつもりでございます・・・

浜野矩随
浜野矩随

おっかさん・・・どうか先立つ不孝を・・・

浜野矩随
浜野矩随

お許しください!

おっかさん
おっかさん

・・・そうかい・・・よくわかったよ・・・

おっかさん
おっかさん

おっかさんはお前さんにねぇ・・・

おっかさん
おっかさん

おとっつあんの跡を継いでもらって、立派に身を立ててもらいたいと思ってたんだがやっぱりお前には無理だった・・・

おっかさん
おっかさん

おっかさんもかねがねそう思ってたんだよ・・・

おっかさん
おっかさん

だけどお前さんが一生懸命仕事をしている姿を見て、おっかさんはそんなことを言えなかったよ・・・

おっかさん
おっかさん

よくぞ若狭屋さん言ってくださった!お前さんもよく覚悟してくれた!

おっかさん
おっかさん

偉いよ!結構です!

おっかさん
おっかさん

お死になさい・・・ね?

おっかさん
おっかさん

どうやって死ぬって?

おっかさん
おっかさん

うん、そうかい、分かった・・・

おっかさん
おっかさん

お前は元々不器用な質だから、やり損ねるといけないからおっかさんがしっかり支度をしてやるから・・・待っておいで!

気丈なおっかさんがあるもんで、細引きを梁(はり)にかけて、しっかりと結んで踏み台を持ってきてその下に置いた・・・

おっかさん
おっかさん

さあ、支度ができた・・・

おっかさん
おっかさん

この踏み台の上に乗っかってね、紐に顎をかけてその踏み台をひょいっと返すんだ・・・

おっかさん
おっかさん

それでいいんだよ?

おっかさん
おっかさん

さあ、しくじるといけないから踏み台に上がって様子を見てごらん?

おっかさん
おっかさん

ふらふらふらふら危ないねえお前・・・

おっかさん
おっかさん

大丈夫かい?しっかりしなさいしっかり・・・

おっかさん
おっかさん

いいかい?首にかからないうちに倒れちまうってとお前怪我をしますよ?

おっかさん
おっかさん

死んでしまえば痛いも何も分からないけれども、生きてるうちに怪我をすると痛いから・・・

おっかさん
おっかさん

大丈夫かい?どうだい、紐の寸法はそんなもんでいいかい?

浜野矩随
浜野矩随

・・・へえ・・・初めてのことですので、よく分かりませんが・・・

浜野矩随
浜野矩随

こんな見当でよろしいかと思います・・・

おっかさん
おっかさん

そうかい・・・さあ、それじゃおっかさんはお前が死ぬのをここで見てるから・・・

おっかさん
おっかさん

その気になったらいつでもいいからおやり・・・

浜野矩随
浜野矩随

・・へぇ・・・

浜野矩随
浜野矩随

はぁ・・・おっかさん・・・ありがとうございました・・・

浜野矩随
浜野矩随

ご不幸の断、お許しください・・・

浜野矩随
浜野矩随

ふぅ・・・はぁっ

おっかさん
おっかさん

矩随!お待ち!・・・ちょっとお待ち!・・・

おっかさん
おっかさん

ゆっくり紐を外すんだよ?

おっかさん
おっかさん

降りなさい・・・そこへお座り・・・

おっかさん
おっかさん

こんな時にお前に物を頼んでは申し訳ないけれども、おっかさんに何かお前の形見を・・・残してもらいたいんだよ?

浜野矩随
浜野矩随

形見でございますか?

おっかさん
おっかさん

おとっつあんに先立たれて、またお前に死なれてしまうとね、おっかさんは1人っきりになってしまう・・・

おっかさん
おっかさん

真に寂しいから、何かお前の形見を彫ってもらいたい・・・

浜野矩随
浜野矩随

・・・へい、分かりました・・・どんなものがよろしゅうございましょう?

おっかさん
おっかさん

おっかさんは観音様をご信仰だから・・・観世音を彫っておくれ?

おっかさん
おっかさん

丸彫りにしてね・・・三寸くらいのお身丈がいいね・・・

おっかさん
おっかさん

それをおっかさんは毎日拝んでいるから・・・

おっかさん
おっかさん

いいかい?お前がおっかさんに残してくれるたった一つの形見なんだ・・・

おっかさん
おっかさん

一心に彫っておくれよ?

浜野矩随
浜野矩随

へい・・・承知致しました!・・・

もうこれが刀の取り納めだと思いますから裏へ行くってと、着物を脱いで裸になって、井戸端でもって、ばぁー!っと頭から水を五、六杯浴びて体を清めるってと、仏壇の前に座って一生懸命一心不乱におとっつあんの遺灰に手を合わせて拝んでいるうちに体中に気力がみなぎってくる・・

いまだ!と思って、細工場に入って、もう一生懸命仕事にかかる・・・

疲れてくるってと、その場につっと伏せてとろとろっとする・・・

はっ!っと気が付いて見るってと、おっかさんが一生懸命拝んでいてくれるから、こりゃいけない!ってんでまた仕事にかかる・・

また疲れる、その場に伏せる、はっと気づく、おっかさんが仏壇の所に手を合わせてくれる・・・

いけない!ってんでまた仕事にかかる・・・

これを繰り返し繰り返し、七日七晩飲まず食わずでもって一生懸命に仕事をいたしました・・・

八日目の朝に、ちょうど・・なんとか彫りあがった・・・

昼ちょいと前に、観音の像を手にして矩随がそっと細工場から出てきたときにその姿はまるでこの世の物とは思えません・・・

浜野矩随を聞くなら「三遊亭圓楽」

三遊亭圓楽の「浜野矩随」は、職人の意地と誇りを描いた感動的な一席です。矩随の人柄と葛藤を、圓楽が巧みに表現し、聴く人の心を揺さぶります。人間ドラマの深さと温かさが詰まった、名作中の名作です。

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浜野矩随
浜野矩随

はぁはぁ・・・おっかさん・・・

浜野矩随
浜野矩随

長らくお待たせをいたしました・・・

浜野矩随
浜野矩随

おっかさんが、あたしが仕事をしている間一生懸命に拝んでいてくれたんで、おかげをもちまして、なんとか・・・

浜野矩随
浜野矩随

観音様彫り上げることが出来ました・・・ありがとうございます・・・

浜野矩随
浜野矩随

不出来ではございますが、これはおっかさんに残す矩随のたった一つの形見でございます・・・

浜野矩随
浜野矩随

どうぞ・・・

おっかさん
おっかさん

・・・そうかい・・できたかい!

おっかさん
おっかさん

ありがとう!

おっかさん
おっかさん

・・まぁ・・・はぁ・・よくできたじゃないか!

おっかさん
おっかさん

拝見しますよ・・・

おっかさん
おっかさん

まぁ見事だねぇ!結構ですよ!結構です!

おっかさん
おっかさん

・・・あの、おみ足の裏にお前の名を入れておくれ、矩随という名をちゃんと刻んでおくれ!

おっかさん
おっかさん

刻んだかい?それじゃあそれで結構だ・・・

浜野矩随
浜野矩随

・・はい・・それじゃあおっかさん・・・

浜野矩随
浜野矩随

長い間ありがとうございました・・・これであたしは・・・

おっかさん
おっかさん

あぁ、ちょっとお待ち・・・ちょっとお待ちよ・・・

おっかさん
おっかさん

支度はしてあるんだ、いつでも死ねるんだからそう慌てて死ぬことはない・・・

おっかさん
おっかさん

お前に・・・疲れているところ申し訳ないが・・・

おっかさん
おっかさん

いま一つ、もう一つ頼みたいことがあるんだけど・・・

浜野矩随
浜野矩随

・・・なんでしょう?

おっかさん
おっかさん

この観音様を若狭屋さんに持ってって・・・売っておくれ?

浜野矩随
浜野矩随

・・・へ?

浜野矩随
浜野矩随

だ、だってこれはあたくしがおっかさんに残した、たった一つの形見じゃありませんか!

おっかさん
おっかさん

それはお前にはすまないと思うけれども・・・

おっかさん
おっかさん

おっかさんだってお前に亡くなられたら、もう何にもないんだから!

おっかさん
おっかさん

まとまったものがいるんだから、すまないがこれを持ってって・・・売っておくれ!

浜野矩随
浜野矩随

・・いやぁでもあたくしは若狭屋さんにはもう行かれません・・・

浜野矩随
浜野矩随

こないだあれだけお小言をいただいて、また顔を出せば「まだお前はぐずぐずこの世にいるのか」と叱られてしまいます・・・

浜野矩随
浜野矩随

・・もうあたしの彫ったものをあのうちでは買っていただけませんよ・・・

おっかさん
おっかさん

そんなことはどうでもいいんだ!

おっかさん
おっかさん

・・・いいじゃないか!見せに行くだけなんだから!

おっかさん
おっかさん

とにかくこれを旦那にお見せしな!くれ!

おっかさん
おっかさん

旦那よ~くご覧ください!と言って見せればいいんだよ!おっかさんの頼みだ!

おっかさん
おっかさん

そうするとね、旦那様は・・たぶん・・買って下さると思う・・・

おっかさん
おっかさん

その時にね・・・あの旦那のことだからこれを見て、二朱とは言わないよ?

おっかさん
おっかさん

「いくらだ?」とおっしゃるはずだから、『五十両一文欠けても売れません』とこう言いなさい・・・

浜野矩随
浜野矩随

と、とんでもございません!ただでもあたしの物は誰も持っていかないんです!

浜野矩随
浜野矩随

五十両だなんてそんなこと言ったら、お前は気が狂ったのだと笑われますよ!

おっかさん
おっかさん

大丈夫だから!心配ないから!心配するんじゃないよ・・・

おっかさん
おっかさん

ね?いいかい?とにかく五十両・・・一文欠けても売っちゃいけませんよ?

おっかさん
おっかさん

疲れてるところ本当にすまないけれども・・・いいかい?

おっかさん
おっかさん

それで、おっかさんお前が帰ってくるまで重湯をこしらえて待ってるからね?

おっかさん
おっかさん

今はないからお水で我慢しておくれ?

湯呑になみなみ一杯ついで・・・

おっかさん
おっかさん

さっ、お飲み!

浜野矩随
浜野矩随

・・・ありがとうございます!

矩随は飲んだんですけれども、何にも腹に入ってないところへいきなり水が入ってったもんですから、半分飲むのがやっとでございます・・・

浜野矩随
浜野矩随

・・・はぁはぁ・・おっかさん・・・もうこれ以上は飲めません・・・

おっかさん
おっかさん

・・そうかい・・それじゃあおっかさんが残りの半分はいただこう・・・

おっかさん
おっかさん

・・・ごく・・ごく・・ごく・・・はぁ・・・おいしいねぇ・・・

おっかさん
おっかさん

さっ、これでいいよ、いってきておくれ・・・・

おっかさん
おっかさん

あぁ、お前長いこと座りっぱなしだったんだ、足腰が弱ってしまっている、あの草履を履いていった方がいいよ?

おっかさん
おっかさん

それからあそこにおっかさんの杖があるからいいかい?それを持っていきなさい、うん・・・

おっかさん
おっかさん

大丈夫かい?気を付けて行ってきな・・・

浜野矩随
浜野矩随

へい・・・

おっかさん
おっかさん

あ、あの矩随や!・・・

浜野矩随
浜野矩随

へい・・・

おっかさん
おっかさん

・・・若狭屋の旦那に・・・よろしく言ってくださいよ・・・

杖にすがってふらふらふらふらしながら自作の観音像を懐に入れて、芝神明前へ行く・・・若狭屋甚兵衛の店先へ・・・

若狭家
若狭家

お!おい!矩随さんが来たぜ!

若狭家
若狭家

こっちへ上がっとくれ上がっておくれ!いいから上がっとくれ!

若狭家
若狭家

いやぁ!こないだはすまない!勘弁しておくれ?嫌なこと言っちゃって申し訳なかった!

若狭家
若狭家

いやあの時ちょいとね、商売のことでむしゃくしゃしていることがあってな、そこでちょいとやっちゃったんだよ・・・

若狭家
若狭家

あんまり気分の良くない所へお前さんが来たろ?ついついお前さんに当たっちゃったんだ勘弁しておくれ、この通りだ許しておくれよ?

若狭家
若狭家

嫌なこと言っちゃったな!後でもってねぇ!もうかみさんにしぼられたよ!

若狭家
若狭家

『なんでああいうことを言うんです!大きなお世話です!よその人様のことじゃありませんか!それを死ねだのなんだの!そんなことを言うもんじゃありません!もし間違いでもあったらどうするんです!?』

若狭家
若狭家

って言われてあたしも気になってねぇ!

若狭家
若狭家

今夜あたりひとつ様子を見に行こうとそう思っていたところなんだ!よく来てくれたなぁ!!

浜野矩随
浜野矩随

・・はぁはぁはぁ・・旦那ぁ・・・恐れ入りますがもう少し声を低くしてください・・・

浜野矩随
浜野矩随

お腹に響いてたまんないんです・・・

若狭家
若狭家

そうかい?どうしたんだい?

浜野矩随
浜野矩随

あの・・実は・・・これを一つ見ていただきたいんです・・・

若狭家
若狭家

あぁ~!仕事をしてきたんだね?わかったわかった!いいよいいよ買いますよ!

若狭家
若狭家

あの時は言葉のはずみであんなこと言ったけど・・・これからは仕事をしたら必ず持ってきなよ?

若狭家
若狭家

他へ持ってっちゃいけないよ?まぁ他に持ってったって売れやしないだろうけどね・・・

若狭家
若狭家

あたしがどんどん買ってやるからいいんだよ!そらぁ構わないがぁ・・・

若狭家
若狭家

ん~?・・・珍しいものを持って来たねぇお前さん・・・

若狭家
若狭家

へぇ~!観音様?・・・そして丸彫りじゃないか・・・

若狭家
若狭家

ちょっと拝見しましょ・・・へぇ~どうも・・・

若狭家
若狭家

・・・ん・・う~ん・・・いやぁ・・どうも・・・

若狭家
若狭家

さすがだねぇ・・・矩随さん、これどうしたんだい?

浜野矩随
浜野矩随

おっかさんが若狭屋の旦那に見せろとこうおっしゃいまして、持ってまいりました・・・

浜野矩随
浜野矩随

旦那・・・よく・・・ご覧くださいまし・・・

若狭家
若狭家

見てますよ・・・うぅ~ん・・・

若狭家
若狭家

ただ「見せろ」ってそう言ったのかい?

浜野矩随
浜野矩随

「買っていただけ」とおっしゃっていました・・・

若狭家
若狭家

そうかい・・・いただきましょう!

浜野矩随
浜野矩随

買っていただけますか!?

若狭家
若狭家

うん!いくらだい?

浜野矩随
浜野矩随

・・えぇ・・それがちょっと・・・申し上げにくいんでございますが・・・

若狭家
若狭家

分かってる分かってる・・・分かってるよ・・・

若狭家
若狭家

お前さんのおっかさんのことだ・・・

若狭家
若狭家

「五十両びた一文欠けても売れません」ぐらいのことは言ったろ?

浜野矩随
浜野矩随

へ?旦那立ち聴きなさってた?

若狭家
若狭家

いやそうじゃない・・・

若狭家
若狭家

お前さんのおっかさんという人はおとっつあんの側にいて仕事を手伝ったりなんかして、色んなものを見ているから目が肥えている・・・

若狭家
若狭家

色んなものの大抵の値踏みができるんだよ!ね?

若狭家
若狭家

あたしはそのおっかさんと長い付き合いだ!

若狭家
若狭家

だからおっかさんがどういう値をつけるかおおよそその見当があたしにもつくんだ!

若狭家
若狭家

これはそう言ったに違いないとあたしは思ったんだ!

若狭家
若狭家

どうだい?五十両とふんだがそうじゃないかい?

浜野矩随
浜野矩随

おっしゃる通りでございます・・・

若狭家
若狭家

そうかい、買いましょ!

若狭家
若狭家

いやぁ高いことはない!安いくらいだ!

若狭家
若狭家

帰ったらおっかさんにね、「若狭屋が喜んでいた」とこう伝えておくれよ?

若狭家
若狭家

いやぁうちにも以前は・・・おとっつあんの物がいくらもあった・・・

若狭家
若狭家

ところが、おとっつあんの物ってのは値がいいからそれに惚れてみんな売っちゃったんだ!

若狭家
若狭家

手元になくなって「あぁ!いけない!とっておけばよかった!」と後悔をしてね・・・

若狭家
若狭家

それから一生懸命に方々廻してなんとか買おうと思うんだけれども、もうどこでもおとっつあんの物は手放さないんだよ・・・

若狭家
若狭家

矩康作と書いてあるだけで誰も手放さなくなっちゃった!

若狭家
若狭家

それからあるとき、おっかさんの所へ行ってね?

若狭家
若狭家

おっかさん、矩康作はもうありませんか?とそう言ったら「みんな手放してしまってなんにもありません」と断られてしまってね・・・

若狭家
若狭家

あたしはがっかりしてたんだ・・・もう手に入らないと思っていたから・・・

若狭家
若狭家

ほど経ってこれをお前さんに持たせてよこしたというのは、大事なおとっつあんの形見から今まで大事にしまっておいたに違いない・・・

若狭家
若狭家

それをよんどころなく売ろうというんで手放すんだ・・・

若狭家
若狭家

それは情けなかろうが、あたしはね・・・

若狭家
若狭家

せっかくおっかさんがそう言ってくれてんだから遠慮なく!買わせていただきますよ!ありがとう!

若狭家
若狭家

矩随さん、これをよくご覧なさい!?

若狭家
若狭家

この刀の扱い方!刀の入れ方!これがなんともいえないじゃないか!

若狭家
若狭家

思わず知らないうちに、どことなくありがたいからひとりでに頭がこう下がるよ?手を合わせたくなるだろ?

若狭家
若狭家

これはなぜかと言うとねぇ、これはお顔なんだよ?お顔!

若狭家
若狭家

お目の入れ方!これが難しい!仏像でもって一番難しいのがこのお目の入れ方!

若狭家
若狭家

あんまりこの愛嬌がありすぎてもいけない、といってなくてもいけない・・・これの程が難しいんだ!

若狭家
若狭家

だから知らず知らずのうちに頭がさぁ~っと下がるってやつだよ?

若狭家
若狭家

凛としている!そして優しげがある!たまんないなぁ!どうだいこの丁寧な仕事!

若狭家
若狭家

どっか・・・

若狭家
若狭家

・・・矩随さん・・・

若狭家
若狭家

お前さん・・・なんて馬鹿なことをしたんだい!

若狭家
若狭家

・・・矩随という名を入れたな?

浜野矩随
浜野矩随

へぇ・・・入れました・・・

若狭家
若狭家

なぜこんなことをするんだい!いくらおとっつあんの物だってこんなことをしちゃいけないじゃないか!

若狭家
若狭家

どうしてそんなことをする前に自分の腕を磨こうと思わないんだい!

若狭家
若狭家

そんなことをして世間の目をごまかそうったってそうはいかない!

若狭家
若狭家

見る人が見ればこれは!矩康作ってことはすぐに分かるんだよ!?

若狭家
若狭家

馬鹿だねぇ本当に・・・せっかく五十両のものが・・・

若狭家
若狭家

ただの二朱になっちゃったじゃないか!

浜野矩随
浜野矩随

旦那!?

浜野矩随
浜野矩随

旦那はなんですか?

浜野矩随
浜野矩随

この観音様は、矩康作だってそうおっしゃるんでございますか!?

若狭家
若狭家

そうさ!

浜野矩随
浜野矩随

・・・ありがとうございます・・・

浜野矩随
浜野矩随

それであたしはもう思い残すことはなんにもありません・・・

浜野矩随
浜野矩随

ありがとうございます・・・

浜野矩随
浜野矩随

旦那・・これね・・あたしが彫ったんです・・・

若狭家
若狭家

嘘をつけ!お前がこんなものを彫れるわけないでしょ!

若狭家
若狭家

狸か河童か分からないようなものを彫ってくるようなやつにこんな仕事ができるわけがないじゃないか!!

浜野矩随
浜野矩随

いえ本当なんです!本当なんです旦那!

浜野矩随
浜野矩随

あたしはね、こないだ旦那に小言を言われてすっかり死ぬ気になって帰りました!

浜野矩随
浜野矩随

おっかさんに内緒で首をくくろうと思ってたんです!

浜野矩随
浜野矩随

ところがおっかさんに見破られたんです・・・

浜野矩随
浜野矩随

話をしましたところ「よくぞ若狭屋さんはそう言って下さった・・・お前もよくぞ覚悟を決めてくれた、その気になってくれた!」と褒めて下さいました!

若狭家
若狭家

・・・おい・・・お前何かい?

若狭家
若狭家

おっかさんにあの話したの?

若狭家
若狭家

馬鹿だねぇ!今度はあたしがおっかさんに会えないじゃないか!

若狭家
若狭家

でどうしたい?

浜野矩随
浜野矩随

死のうと思ったその前に「あたしになにか形見をひとつ残していけ」と言われて、観音様が言いというので・・・

浜野矩随
浜野矩随

あたしは七日七晩飲まず食わずでもっておっかさんに残す置き土産として一心不乱にこれを・・・

浜野矩随
浜野矩随

彫ったんでございます!

若狭家
若狭家

そうかい!

若狭家
若狭家

・・・へぇ~!これが!お前さんが彫った!?

若狭家
若狭家

いやぁ~恐れ入ったねぇ・・・悪かった悪かった・・・

若狭家
若狭家

勘弁しておくれこの通りだ!まさかお前さんの物だとは思わないから疑ったんだよ!

若狭家
若狭家

はぁ・・・そうかい・・・

若狭家
若狭家

知らず知らずのうちに蓄えられていた技というものがお前さんが死ぬ気になった時に、いっぺんに出たんだぁ・・・

若狭家
若狭家

おっかさん喜んだろ?

浜野矩随
浜野矩随

はい!

浜野矩随
浜野矩随

おっかさん喜んでくれまして「とにかくこれを若狭屋さんに見せろ、とにかく持っていけ!」と言われてあたしは持ってきたんでございますよ!

浜野矩随
浜野矩随

出掛ける時におっかさんが「ちゃんと重湯をこしらえておいてやる、今はないから水で我慢をしろ」と言うんで水を一杯あたしに飲ましてくれました・・・

浜野矩随
浜野矩随

とてもあたくしは一杯飲みきれないんで、半分飲んで、そしたら残りをおっかさんが美味そうに飲んでくださいまして・・・

浜野矩随
浜野矩随

足元のことまで気を遣ってくれて「どうか旦那によろしく言っておくれ」と涙ながらに・・・

浜野矩随
浜野矩随

足元のことまで気を遣ってくれて「どうか旦那によろしく言っておくれ」と涙ながらに・・・

浜野矩随
浜野矩随

あたしを門口のところまで送ってくれたんでございますよ!

若狭家
若狭家

なに!お前さんが残した半分の水を飲んで!?

若狭家
若狭家

涙ながらにお前さんを送り出した!?

若狭家
若狭家

おい・・・矩随さん!ひょっとするってと、お前さんのおっかさん・・・

若狭家
若狭家

お前さんの代わりに・・・ぶら下がるかもわかんないよ!?

若狭家
若狭家

すぐにうちへ帰りなさい!!あたしも後から行くから!

さあ矩随はもう無我夢中でうちへ飛び込んできた・・・

浜野矩随
浜野矩随

おっかさーーーーん!!

ふっと見るってと、時すでに遅く、矩随の代わりに梁から・・・

浜野矩随
浜野矩随

おっかさん・・・なんてえことをなさいました!

浜野矩随
浜野矩随

おっかさん!・・・おっかさん!

浜野矩随
浜野矩随

喜んで下さい!聞いていただきたい!

浜野矩随
浜野矩随

あの若狭屋の旦那が、あの観音様を・・・

浜野矩随
浜野矩随

矩康作と間違えて五十両で買って下さるんでございます!!

浜野矩随
浜野矩随

これをあたしはおっかさんに聞かせとうございました!!

浜野矩随
浜野矩随

おっかさーーーん!!

母親の亡骸にすがって、ただただ泣くばかりでございます・・・

そこへ若狭屋が入って来て、万端きちーっといたしまして、野辺の送りも済ませて、矩随を自分のうちに引き取りまして・・・

細工場を与えて一生懸命仕事をさせた・・・

若狭家
若狭家

さっ・・矩随さん・・・

若狭家
若狭家

お前さんのおっかさんという人はお前さんになんとか!励んでもらおうと思って自分から亡くなったんだ・・・

若狭家
若狭家

そのことを思ったらね、まあ一生懸命にやって、この道でなんとか世に出ないってとおっかさん浮かばれませんよ?

若狭家
若狭家

一生懸命やってくださいよ?

浜野矩随
浜野矩随

はい!かしこまりました・・・

というんでこれから矩随が死んだ気になって一生懸命に仕事をする・・

腕は上がる・・・人間ちょいとしたきっかけで大~きく伸びるもんでございまして・・・

今まで出てこなかった才能がいっぺんに出たんでしょうか・・・

これをまた若狭屋三の方が商売ですから、うまい具合に売りさばく・・・

どんどんどんどん評判が広まりまして、近頃じゃあっちからもこっちからも注文が殺到しまして・・・

もう今まで見向きもしなかった人達がとにかく矩随作でなければいけないなんというんでね、ずいぶんいいかげんな話があるものですけれども・・・

お客
お客

いかがでございましょう?ひとつ矩随先生に彫っていただきたいのですが・・・

若狭家
若狭家

いやぁもう今ね!注文がいっぱいでつかえちゃってるんですよ!

若狭家
若狭家

まあ今からご注文なさるってと、来年の春あたりですかなぁ・・・

お客
お客

そう長いことは待てませんがねぇ・・なんかありませんか?

お客
お客

おたくとは長い付き合いですから!ずいぶん色んなものを買ってらしたんでしょ?

お客
お客

とにかく『矩随』という名が入ってればそれでいいんですから!!

若狭家
若狭家

そうですか・・それでしたらひとつ残ってますよ・・・

若狭家
若狭家

これねぇ、小柄なんですが、この柄にね?

若狭家
若狭家

猪が彫ってあるんです・・・これでよろしいですか?

お客
お客

え?ちょ、ちょっと拝見させていただきます!

お客
お客

あ!確かに『矩随』としてありますなぁ!

お客
お客

猪!?へえ~!・・へぇ・・・

お客
お客

・・・これ豚じゃないんですか?・・・え!?豚でしょ?

若狭家
若狭家

あぁ~素人はみんなそう言うんですよ・・・

若狭家
若狭家

それは猪なんです!

若狭家
若狭家

ちょっと見ると豚ですけれども、じ~っと見ててご覧なさい?

若狭家
若狭家

猪に見えてきますから・・・

お客
お客

そうですかなぁ・・・どうみたって豚に見えるんですが、猪に見えてきますか?

お客
お客

・・あ・・あ!ああ!見えてきました!

若狭家
若狭家

うん、それが名人ですよ!

っていい加減な話がありましてね・・・人が色んなことをいいます・・・

たいしたもんだあの矩随さんという人は!

こないだあたしの知ってる人が鼠を彫ってもらったら、鼠が天井裏へ逃げちゃったってさぁ!

あたしの知ってる人なんざ、狼を彫ってもらったら、狼にすねをかじられたってよ!

なんてんで、色んな事を言ってどんどんどんどんこの評判が広まりまして、そのうちに温州松江の城主、松平出羽守様からお声がかかりまして、御供所に十六羅漢を彫ってもらいたいという注文でございます・・・

ところが矩随は鐘に刀をあてがったことはありますが、石にあてがったことがございませんので、いっぺんは躊躇をしたんでございますけれども、なにしろ賢人という噂の高い人からの注文ですから、「よし!一世一代の仕事だ!仕事をしよう」ってんで、仕事を引き受けて、無我夢中で仕事をして彫り上げる・・・

これが実に結構な出来でございます・・・

大変にお喜びになられまして、矩随にたくさんの褒美をつかわし、なおかつ名前がどんどんどんどん高まったと申します・・・

名工『浜野矩随』の苦心談の一席でございました・・・

浜野矩随を聞くなら「三遊亭圓楽」

三遊亭圓楽の「浜野矩随」は、職人の意地と誇りを描いた感動的な一席です。矩随の人柄と葛藤を、圓楽が巧みに表現し、聴く人の心を揺さぶります。人間ドラマの深さと温かさが詰まった、名作中の名作です。

\Amazon Audileで聞けます/

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