今は本当にいい時代で、自分の体の中でも嫌な部分があったら手術したり、注射を打てば変えられます…
いわゆる整形というやつですな…
親から与えられた体をいじるな!とか、逆に自分の体なんだから好きにしてもいいだろうという二つの意見で論争が起きたりなんかしております。
ただまあ、変えられるだけありがたいと言いますか、世の中には変えたくても変えられない人もいる。
なんとか普通の人のように、なんとか、なんとか!と思ってもこれはもうどうしようもならないことでしょうがない。
そう考えれば、まだそんな論争も可愛いもんで、時代も人間が生きやすいように日々進化していると言えるでしょうな。
整形と言えば、美容整形が伝わったのは1875年あたりだそうです。
ただ、本格的に広まったのは第二次世界大戦後、欧米の文化が多く流れて来たからなんだそうですな。
日本人は平たいのっぺりした顔ですから、ほりが深く、はっきりとしたお目目のぱっちりした欧米人に憧れたんでしょうな。
顔にコンプレックスがある人はこの整形をすることによって、まるで外国人のような顔が手に入るわけでございます。
ただあんまりやりすぎると、誰か分からなくなって、久しぶりに実家に帰ったら不審者扱いされたなんて話もあるそうで…
この美容整形が出る前、1875年の前ってのは、昔の人はどうすることもできない。顔が多少へんてこであっても「そんなこたぁ気にしないよぉ~!」くらいの器がなければいけないもんでした。
ただ、これが多少じゃあない、うんと変だったらそらぁもう大変で… 池の尾という所に禅智内供(ぜんちないぐ)という僧侶、寺の坊さんですな。がおりまして、池の尾で禅智内供を知らない者はいなかった。
というのも、この坊さん、鼻が長く太いことで有名。鼻が長いというと、今ご想像していただいたよりはるかに長くて太い。
長さは五十六寸ありまして、上唇の上から顎の下まで伸びている。形と言うと、鼻の根本から先まで同じように太い。
禅智内供の鼻というより、鼻に禅智内供が付いてきたようなへんてこな鼻でございました。
五十を超えております当の本人は、修行僧だった若い頃からずっとこの鼻に悩み続けておりましたが、鼻で悩んでいるということを人に知られたくないばかりに、さも自分は気にしていないそぶりを今日まで続けてきました。
ただ、顎の下までのびる顎でございますので、食事を摂るときなんかは大変で、自分の弟子に箸で自分の鼻を摘まみ上げてもらう間に食べるという…
食べる方も大変ですけれども、鼻を持っている弟子の方は師匠が食べている間は腕が疲れてきますし、身動きが取れないですから、それはもう大変な労働で… ある時、弟子の代わりを務めた中童子…
※中童子…寺で修業中の少年。雑用やお供をする。年齢で大中小と分かれた。
と、この中童子、先ほどまで粥の入ったかまどに、火吹き竹で一生懸命火を起こしておりましたので、汗をびっしょりかいておりました…
内供に粥を出すころには、この汗も引いてきまして…寒気がブルっとしたかと思うと、突然鼻がムズムズきまして…
中童子がくしゃみをした途端に、内供の鼻が碗に注がれた熱々の粥に落ちたもんですから、熱いのなんのって…
この一部始終を陰から見ておりました弟子をきっかけに、ついには京都の方までこの話が広がった…
なんてんで、池の尾の町の人に馬鹿にされ、しまいには同情される始末…
当の内供は、女房がどうとかの前に、この鼻のせいで自分が蔑まされるのが屈辱でございましたから、この鼻をなんとかできないかと影で色々試す算段をしていた。
まず内供がやったのは、長い鼻をどうしたら短く見せられるかということを研究した。 鏡へ向かって、上・下・右・左・斜めと色んな角度から見て、工夫を凝らす。
それじゃ物足ってんで、顎に手をあてたり、頬杖をついたりなんかして… 現代で言う、盛れる角度を探したんでしょうな…
ただ、角度や手をあてがったぐらいじゃ、この鼻の存在感は変わりませんで、頑張れば頑張るほどに鼻が長く見えたりするもんで…
他にも、烏瓜を煎じて飲んだり、鼠の尿を鼻へさすったりなんかもしましたが、鼻が変わることはありません…
自分ではこの鼻をどうすることもできないと嘆く内供の元に、ある年の秋、内供の用で京へ下っていた弟子が帰って来た…
ってんで、寺の湯屋で毎日沸かしている指も入れられないような熱々の湯を提に入れて汲んできた・・・
※提(ひさげ)・・・銀などで作ったつるのある小さな鍋の形をしたもの
ってんで、弟子が聞いても内供の方は鼻を踏まれてますんで、意思表示をしようにも首が動かせない…
仕方ないので、目で訴えながら、
痛くはないが、むずがゆい所を踏まれて気持ちがいい。しばらく踏んでいるうちに粟粒のようなものが鼻に出来始めた…
鼻の毛穴からけぬきで脂をとると、四分ばかりの長さに抜けた。
ってんで、また熱々の湯の中に鼻を入れて、出してみると、なるほど鼻が短くなっている。
顎の下まであった鼻が縮まって、踏まれた跡で赤くはなっているが、唇の上まで短くなっていた。
今までは自分の顎の下まであった鼻が急に唇の上まで短くなったもんですから、またすぐに長くなるんじゃないかと、確かめるように鼻を触る…
だけども、やっぱり鼻は短いままで、鼻の治った嬉しさからか、朝起きてまずは自分の鼻をひと撫でするのが内供の習慣になりまして…
朝起きて触り、飯を食う時も触り、経を読む時ですら触っていた… ところが、二、三日経って、用があって寺に訪れた侍が、自分を見て以前よりも面白おかしく笑っている…
やっぱり鼻が長くなったか?と思って鼻を触れば、短いまま…
内供の鼻を粥の中に落とした中童子に至っては、講堂の外ですれ違った時、可笑しさをこらえ兼ねて、吹き出してしまう始末…
どうして鼻が治ったのに、みんな笑うのか不思議になって、真夜中、他の坊主が寝ている間、内供は一晩中考えた…
ってんでひと晩中考えても中々はっきりした答えが見つからない…
その次の日も、またその次の日も考えますが、自分を笑う理由が分からない… ただただ不快な思いだけがたまっていく…
だんだんと機嫌が悪くなってまいりまして、二言目には誰でも意地悪く叱りつけるようになりまして…
内供の鼻を治したあの弟子でさえ、内供の陰口を言うほどになった…
ある時、外で犬の吠える声がするもんで何気なくふらっと外へ出てみると、内供の鼻を粥へへ落とした中童子が、二尺ばかりの木の片を振り回して、毛の長い、痩せた野良犬を追い回していた。
それもただ追い回していたんじゃない、「鼻を打たれまい!」と言いながら振り回す木の片は、かつて弟子が内供の鼻を持つときに使っていた木…
内供はいかりに任せて、中童子から木を奪い、中童子の顔をぱーんと引っぱたいた…
中童子もびっくりして泣きじゃくる、内供の方も、「あぁやってしまった…」とは思ったが、立場の手前、何も言わずその場を立ち去った…
この話が弟子の間で広まり、それが町にまで広がり、「内供の坊主は鼻が短くなって意地悪くなった」なんてことを言われるようになった…
内供の方では、せっかく短くなった鼻のせいで、以前に増して笑われるは、意地悪いと噂されるはで、自分の鼻をさらに恨んだ…
ある夜のこと、日が暮れて急に風が出てきたと見えまして、風鐸の音と寒さで、老年の内供は眠ろうにも寝付けない…
布団の中でまじまじしてるってと、なんだか鼻がむずがゆい…
変だなと思って鼻を触ると、水気があるようにむくんでいる、それに何やら妙に熱い…
自分の鼻を拝むようにして抑えながら、その晩は眠る・・・
次の朝、起きるってと、昨晩の強い風で、寺のイチョウや橡の木から葉が見事に落ちておりまして、床が黄金を敷いたように明るい…
塔の屋根には霜が下りたせいか、九輪に朝日があたって、まばゆく光っている…
ってんで、違和感を感じた顔の方に手をやると、忘れていた懐かしい感覚… 上唇の上から顎の下まで五十六寸の鼻がぶら下がっている…
芥川龍之介「鼻」について
今回は、芥川龍之介の「鼻」を勝手ながら落語風にアレンジしました。やはり小説の方が、内供の細かな心情の変化や何とも言われぬ複雑な心境が表されているかと思います。
落語風に書き起こすのはおこがましいこと限り無しですが、是非若い人にもこの芥川龍之介の短編小説に触れて欲しく、書きました。
また今回書いた落語風の「鼻」の中には、「鼻の短くなった内供がなぜより一層笑われることになってか?」は書きませんでした。
小説の中にはその理由が書かれています。
またこの「鼻」という作品の中で、一番伝えたい重要な部分は、この理由であり、ここを知ることで、この作品がすとんと腑に落ちるかと思っています。
だから、落語風に書き出してみたはいいものの、オチまで話した後、果たして聞く人がすんなりすっきりするか?と言われれば疑問です。
ですから、是非、「鼻」という作品を読んでいただけばと思います。この記事がそのきかっけになったら嬉しいです。
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