一言で「船徳」を解説すると…
勘当された若旦那がやったことのない船頭になり、 乗せた客をてんやわんや困らせる噺だよ!
登場人物
勘当されて船頭になったバカ息子です!
若旦那を受け入れた船宿の主人です!
船宿の女中です!
船宿のおかみです!
船宿で船頭やっている者だ!
私も船宿で船頭やっている者なんです!
四万六千日のお参りに行く途中の船宿の客だよ!
私も一緒にお参りに行きますよ!
船徳のあらすじ
親元を離れることになった若旦那の徳兵衛は、大川端にある船宿で世話になっていた。
しかし、日々の退屈さと恩義を感じている船宿の親方に対して何か役に立ちたいと考え、船頭にしてほしいと申し出る。
最初は難色を示した親方だったが、船頭たちの賛成もあり、やっとのことで承諾する。
非力な若旦那の徳兵衛にはなかなか仕事が回ってこない。
ある夏の日、浅草観音様の四万六千日の縁日に、船頭たちが全員出払ってしまう。そんな時、常連の客が船を利用したいと声をかけてくる。
女将が心配するのをよそに、徳兵衛は客を乗せて大川を渡ろうとするが、何度も失敗してしまう。
客から「大丈夫か?」と声をかけられると、「この前はお客さんを川に落としてしまいましたが、今日は大丈夫です。」と答える。
客は不安を感じながらも、何とか川を渡ろうとする。
ついに対岸にたどり着くが、岸に上がることができず、客は川の中を歩かなければならない羽目になる。
心身ともに疲れ果てた徳兵衛は「お客様、上がったら船頭を一人雇ってください。」と頼み込む。
↓台本を読んでみる
船頭の役割と歴史
江戸時代(1603-1868年)は、日本において水上交通が非常に発達した時期です。
特に江戸(現在の東京)は、「水の都」として知られ、多くの川や堀が縦横に巡らされ、物流や人の移動が盛んに行われていました。この水上交通を支えたのが、船頭や船宿の存在です。
以下に、江戸時代における船頭の役割とその歴史を時系列でまとめます。
船頭の役割
役割①:物流の中心
- 江戸の街を支えるための建築資材や食料(米、塩など)を運ぶ役割を担いました。大川(隅田川)を中心に多くの物資が運び入れられ、川沿いには蔵が立ち並んでいました。
- 大型船は沖に停泊し、荷足船に積み替えて運搬するなど、効率的な物流が行われました。
役割②:交通手段
- 猪牙船(ちょきぶね)や渡し船などがあり、これらは現代のタクシーやバスのような役割を果たしました。
- 猪牙船は船頭一人で漕ぐ小型の高速艇で、主に一人から二人の客を運びました。熟練した船頭が操縦し、料金も高額でした。
- 渡し船は対岸への移動手段として庶民に利用され、一日何往復かする定期便で、料金も手頃でした。
役割③:娯楽と観光
- 屋形船や遊覧船としての役割も果たし、川遊びや宴会、男女の密会の場として利用されました。
- 船宿が船頭を雇い、これらのサービスを提供しました。
船頭の時系列歴史
年数 | 内容 |
1603年 | 江戸時代の始まりと共に、水上交通が重要な役割を果たすようになる。 |
1610年 | 江戸城建設に伴い、材木などの建築資材が川を通じて運ばれ始める。 |
1650年 | 江戸の街に水路が整備され、船頭が物流の中心的存在となる。 |
1700年 | 船宿が増加し、屋形船や猪牙船などのサービスが普及。 |
1750年 | 川沿いに蔵が立ち並び、大型船と荷足船による効率的な物流が確立。 |
1800年 | 猪牙船がタクシーのような役割を果たし、渡し船が庶民の主要な交通手段となる。 |
1868年 | 江戸時代の終焉と共に、西洋技術の導入が進み、蒸気船が普及。伝統的な船頭の役割も変化を迎える。 |
1900年 | 明治時代に入り、蒸気船や機械船の普及により、船頭の数が減少するが、観光業などで依然として重要な存在となる。 |
1968年 | 高度成長期に入り、大型トラックによる陸上輸送が主流となり、水上交通は衰退。 |
現代では、輸送に船頭が派遣されることはもうなくなりましたが、川の船下りなどの観光場面で船頭が活躍しています。
江戸時代の船賃
落語「船徳」のまくらでは、よく「猪牙(ちょき)で小便千両」という比喩表現が紹介されます。
これは、猪牙(ちょき)舟の上から川に向かって落ち着いて小便ができるようになるまでには千両かかりますという意味です。
1回で千両かかるわけはないにしろ、当時はそれだけ高級な乗り物とされていたということです。
気になる船賃ですが、柳橋から山谷掘までが片路148文だったそうです。(SUUMOジャーナルより)
1文は大体30円(知るぽるとより)くらいですので、おおよそ4,400円くらいになります。
柳橋から山谷掘というのは、ちょうどお相撲さんの聖地「両国国技館」から浅草「浅草寺」あたりまでで約12kmあります。現代の陸上タクシーを使うと東京都の運賃で10km走って4,000円です。
確かに当時の船賃は、海上のタクシーと言えますね。ちなみに「渡し舟」という定期便もあり、価格も猪牙(ちょき)舟より安かったため、こちらを利用していたようです。
猪牙(ちょき)舟が海上のタクシーならば、渡し舟は海上のバスと言えますね。
参考記事
SUUMOジャーナル 落語「船徳」の船は、江戸時代の高級タクシーだった!?
「船徳」を聞くなら
船徳を聞くなら「古今亭志ん朝」
古今亭志ん朝の落語は、華やかな語り口とリズム感あふれる演出が特徴です。「船徳」では、彼の卓越した語りの技と船上での鮮やかな情景描写が楽しめます。活き活きとしたキャラクターが織り成す物語をお楽しみください。
コメント