一言で「千両みかん」を解説すると…
みかんが食べたくて患った若旦那のために、夏の真っ盛りにミカンを千両で買う噺
主な登場人物
若旦那のために、みかんを探し回った番頭です!
みかんを食わないと死んでしまう若旦那です・・・
若旦那の父、番頭に若旦那のことを頼んだ主です
番頭に千両みかんの場所を教えたおじさんです・・・
夏でも、みかん蔵をやってる問屋です
千両みかんのあらすじ詳細
旧暦の6月(現代の7月ごろ)、ある大店の若旦那が病気になり、父親の大旦那が名医に見せても治らない。
医者は「心の問題である。強い心残りがあるに違いない」と言うが、若旦那は何も言わず、日に日に衰弱していく。
そこで、若旦那の幼馴染であり信頼されている番頭・佐兵衛が呼ばれ、理由を聞き出すように命じられる。
最初は言い渋っていた若旦那も、佐兵衛の真摯な態度に折れ、「欲しいものはミカン(温州蜜柑)」と告げる。
佐兵衛はそれに驚きながらも、若旦那のために何としても手に入れると約束する。しかし、6月にミカンを手に入れるのは不可能に近いと知る。大旦那からは「無理だ」と言われるが、諦めるわけにはいかない。
佐兵衛は街中を駆け巡り、やっとのことで冬に大量のミカンを扱う店に辿り着く。
そこの番頭は、夏でもミカンを求める客のために冬に仕入れたミカンを保管しているという。
佐兵衛はミカン蔵に案内され、奇跡的に一つだけ無事なミカンを見つけるが、その代金は千両だと言われる。悩んだ佐兵衛は大旦那に相談し、大旦那は若旦那の命には代えられないとして千両を支払う。
佐兵衛が持ち帰ったミカンを若旦那は美味しそうに食べ、みるみる元気を取り戻す。
若旦那は感謝の気持ちで、残った3房を佐兵衛に渡し、両親と共に分け合って食べるように言う。
佐兵衛はその価値を考え、一房100両として300両になるミカンを見て、今後の自分の立場を考えながら、ミカンを持って姿を消すことを決意する。
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夏みかんの歴史
へぇ?夏みかん?そ、そんなものがあったんですかい?
千両みかんは、夏にはみかんなんてものはないという認識の元、番頭さんが方々を回って探し出した「みかん」が千両だったというお話。
そもそも、夏みかんさえあれば若旦那も番頭も困らなかったわけです。きっと落語「千両みかん」は夏みかんがまだ流通していなかった時期なのか…
はたまた最後に奇跡的に見つけた1個が実は夏みかんだったのか…
ちょっと夏みかんの歴史を覗いてみましょう。
江戸時代中期
- 山口県長門市仙崎大日比(青海島)の海岸に、黒潮に乗って南方から文旦系の柑橘の種が漂着。
- 地元の住民、西本於長がその種を播き育てたのが夏みかんの起源。
- 原木は現存し(根のみが原木、上部は接ぎ木)、史跡および天然記念物に指定。
明治時代
- 晩秋に実る果実は酸味が強く、翌年の初夏に酸味が減じることが判明。
- 夏に味わえる貴重な柑橘類として価値が認められ、広く栽培されるようになる。
- 山口県、特に萩市で多く栽培され、職を失った武士への救済措置として栽培が奨励された。
- 当時植えられたナツダイダイの木が今も萩市内に多く残る。
1926年
- 摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)が初夏に萩市を行啓。
- 夏みかんの香りの良さに驚き、「この町には香水がまいてあるのか」と発言。
- この香りは2001年に環境省の「かおり風景100選」に選出。
江戸時代はまだ山口県に種と植木があっただけなのでしょうね…
若旦那が明治の時代に患ってくれりゃぁ・・・
参考記事
千両みかんを聞くなら
千両みかんを聞くなら「古今亭志ん生」
古今亭志ん生の落語は、洒脱で温かみのある語り口が特徴です。彼が演じる「千両みかん」は、若旦那の病気を巡る騒動と、夏にミカンを求める困難さがユーモラスに描かれた物語です。
志ん生の巧みな間と軽妙な語りが、この滑稽で心温まるエピソードをより一層魅力的にし、登場人物の人間味あふれるやり取りを生き生きと描き出します。
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