一言で「搗屋幸兵衛」を解説すると…

亡き妻の嫉妬かと思われた怪奇現象の正体が、実は搗米屋の振動だったと判明する噺。
主な登場人物

町内で大家をやっている小言幸兵衛といいます!

幸兵衛の元に家を借りに来た搗米屋です!
搗屋幸兵衛の詳細なあらすじ
町内で何かと小言ばかり言う大家・幸兵衛。ある日、借家を探す豆腐屋と搗米屋(米を搗く商売の人)が訪れる。豆腐屋は子供がいないことを理由に貸してもらえず、次に来た搗米屋には「話がある」と引き止められる。
幸兵衛は、自分の過去の体験を語り始める。
彼は最初の妻と幸せに暮らしていたが、彼女は病に倒れ、亡くなる前に「私の妹を後添いにしてほしい」と願い残した。最初は断ったものの、亡き妻の遺志を尊重し、妹と再婚。妹は優しく、よく働き、二人は幸せに暮らしていた。
しかし、ある日妹が「死んだ姉が私に嫉妬している」と言い出す。毎朝、仏壇を掃除し仕事を終えて戻ると、姉の位牌が必ず後ろ向きになっているのだ。妹はこれを「姉が私を恨んでいる証拠」と思い詰め、ついには病に倒れ、そのまま亡くなってしまった。
妹の死を悼みながらも、幸兵衛は「二人の供養をしよう」と決め、二人の位牌を並べて祀る。しかし、朝仕事を終えて戻ると、今度は二つの位牌がそろって後ろ向きになっていた。さすがに不審に思い、夜通し見張ることに。
深夜、ずっと見張っていたが何も起こらない。しかし、明け方になると近所の搗米屋が米を搗き始めた。その「ズシン、ズシン」という振動に合わせて、位牌が少しずつ動き、ついには後ろを向いてしまうのを目撃する。
つまり、怪奇現象などではなく、搗米屋の振動が位牌を動かしていただけだったのだ。
これを思い出した幸兵衛は、目の前の搗米屋をにらみつけ、
幸兵衛「お前が女房を二人とも殺したようなもんだ! 仇を取ってやる!」
搗米屋「冗談じゃない」
搗屋幸兵衛を聞くなら「古今亭志ん生」
古今亭志ん生の「搗屋幸兵衛」は、飄々とした語り口と独特の間の取り方が絶妙。大家・幸兵衛の小言の多さ、搗米屋とのやりとり、そして怪談めいた話が思わぬオチへと転がる展開を、巧みに演じ分ける。志ん生ならではの軽妙な話芸で、不気味さと滑稽さが入り混じる江戸の落語の妙味を存分に味わってほしい。
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搗屋(米を搗く仕事)とは?

落語「搗屋幸兵衛」のオチの鍵となるのが、「搗米屋の振動」です。では、江戸時代の「搗屋(米を搗く仕事)」とは、どのようなものだったのでしょうか。
搗米(つきまい)とは?

画像参照:大阪歴史博物館より
搗米とは、玄米を精米して白米にする作業のこと。江戸時代には、今のような自動精米機がなかったため、杵(きね)と臼(うす)を使って手作業で米を搗くのが一般的でした。搗米屋はその専門職で、町人や武士の家に米を届ける重要な役割を担っていました。
搗米屋の仕事と騒音問題
搗米屋は、木製の大きな臼に玄米を入れ、杵を使ってリズミカルに叩いて精米していました。この作業は力仕事であり、「ズシン、ズシン」と床を響かせながら搗くため、大きな振動が発生しました。
特に、江戸の町は長屋が立ち並び、隣の家とも密接していたため、搗米屋の振動は周囲の家にも伝わることがありました。「搗屋幸兵衛」の話では、この振動が原因で位牌が動いてしまい、それが怪奇現象のように見えていたのです。
江戸の食文化と搗米屋の役割
江戸時代の庶民にとって、白米は貴重な食べ物でした。玄米をそのまま食べることもありましたが、精米した白米の方が食べやすく人気があったため、搗米屋は日常生活に欠かせない職業でした。
また、搗米屋の仕事は単に精米するだけではなく、
- お得意様の家へ出張して米を搗く
- 白米の保存や販売も行う
- 武家や商家に米を納品する など、多岐にわたる業務を請け負っていました。
特に江戸の町では、精米したての白米が好まれたため、搗米屋は朝早くから作業を始めることが多かったといわれています。そのため、今回の落語のように「朝の仕事が振動の原因になる」という状況も、当時の生活を反映していると考えられます。
搗屋幸兵衛を聞くなら「古今亭志ん生」
古今亭志ん生の「搗屋幸兵衛」は、飄々とした語り口と独特の間の取り方が絶妙。大家・幸兵衛の小言の多さ、搗米屋とのやりとり、そして怪談めいた話が思わぬオチへと転がる展開を、巧みに演じ分ける。志ん生ならではの軽妙な話芸で、不気味さと滑稽さが入り混じる江戸の落語の妙味を存分に味わってほしい。
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