まだ東京が江戸と申しておりました時代に、千住の通新町というところに一軒ぽつ~んと居酒屋がございまして・・・
そのあたりは大分寂しいところで、そこに一軒あるだけでも救われると言えば救われます・・・
十人も入るってとぎゅうぎゅうになってしまうような小さな店でございます。
店の真ん中に少し大きめの台が置いてありまして、周りに腰掛けにする酒樽がず~っと置いてあります・・・
夫婦二人きりでもって商売しております・・・
この店が繁盛するというのは、周りに他に店がないということもあるんですが、何よりもやっぱりそこの亭主の働きでございます・・・
酒の調合がいい、量りがいい、そして亭主が自分で作るつまみですな・・・
大したものはないんだけれども中々みんなうまい。そして安いんですから酒飲みにとってこんなに嬉しいことはございません・・・
それだけじゃなくて、この亭主は中々世辞がいい・・・
ですから店の中がいつでも穏やかな雰囲気で、のみに来ていても、とても気分がいい・・・
だから一度来た人は必ずまたやってきます・・・
そういう人の顔もちゃんと覚えてくれるんですからこんなに嬉しいことはありませんな・・・
昼間、飯も出しておりますから昼時になるってと、もういっぱいの人になって、中々結構繁盛します・・・
ところが、昼間はいいんですが、夜になるってとどうもいけないというのが・・・
周りが寂しいところですから、そこまでわざわざというお客様がいない・・・
常連というのが、大体そこら辺をふらついている馬子さんだとか、あるいは出商人の人たち、近くに仕事に来ている職人の人たちなんという人がお馴染さんですから、商売が終わって帰りに一杯ひっかけるってとすっとすぐ帰っちゃう・・・
だから夕間時ちょっとは賑わうんですが、それが過ぎるってともうお客様が参りません・・・
ただ、人が全く通らないかってとそういうこともございませんで、千住にあります遊び場に行こうという人が店の前を通るんですが、なんせ遊ぶことを考えておりますから、店によって一杯ひっかけるなんてことは考えていません・・・
早く女に会いたいというんで、どんどんどんどん素通りしてしまいます・・・
だからもう夜は早いうちに店を閉まってしまう・・・
今日もお客様はもうほとんど来ないだろってんで亭主がのれんを店の中入れて、さあ閉めようとしたところへ・・・
もう半分を聞くなら「古今亭志ん生」
古今亭志ん生の落語は洒脱で自然体かつ飾らないスタイルが特徴です。一方で「もう半分」は単に怖いというよりは、人間の卑しさ・傲慢さといった意味での怖さを持った落語です。
普段は深いユーモアと人情味のあるキャラクターである志ん生がどのように演じるのか、興味をそそられる一席です。
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こんばんわ・・ごめんくださいまし・・・
あっ、どうもこんばんわ、八百屋のおじいさん!さあさあどうぞ!
年頃65,6になります、痩せ気味のおじいさんで、目がくぼんでおりまして、鼻がつ~んと高い・・
頬がかけておりまして、まあ出商人でございますから日に焼けております・・
もうとにかく布子のような、肩の落ちちゃったひどい着物を着ておりまして、小倉のよれよれの帯をしめて、尻を端折っている下から、つぎはぎだらけのももひきを履いて、薄汚れた足袋を履いてね・・・
俗にいうひやめしという草履を履いて、すっと入ってきた・・・
あいすいません・・・おしまいになるところ申し訳ございません・・・
いえいえ!構いません構いません!お客様がいれば、商売してるんですよ!
お客様が来ないから早めに閉めちゃおうってんで、別に早くに休もうってんじゃないんですから!
のれんは中に入れてありますが、まあ気にしないで、さぁどうぞ!中にお入りください!
そうですか、それじゃあまあひとつ・・・
いやあ、まあなんですかなあ、今日はくたびれましたなあ・・・
恐れ入りますが、いつものようにお酒を半分いただきたいんでございますが・・・
ああそうですか、へい!お待ちどうさまで!
あ、どうもありがとうございます・・・
いやぁ~どうも、飲ませていただきます・・・
ごくっ・・ごくっ・・・
はぁ~・・ふぅ・・・
いやぁもうお宅の前を通りますとね、素通りできませんよ・・・
真っすぐうちに帰ろうと思って、今日ちょっと訳がありましてね?
ええ、今日は商売じゃあないんですよ・・・
ちょいと用足しがありまして、その用が長引いちゃったんです・・・
真っすぐ帰ろうと思ったんですが、もうこの前を通ったらもうどうしようかどうしようかと思ってねぇ、へっへっへぇ・・・
どうも一旦は通り過ぎて先行ったんですけど・・・
もう腹の虫が収まりませんで、戻ろうよぉ~帰ろうよぉ~ってんです・・・
で、まあ虫の顔を立てて戻ってきました・・・
・・・ごくっ・・ごくっ・・はぁ~・・・
もうこちらのね、お酒をいただくってともう他じゃあ飲めませんよ・・・
真に調合がいいし、また量りもいい、それでいて安いってんですから他へは行かれません・・・
もう半分、お願いします・・・
へえ、かしこまりました!
どうぞ!
ありがとうごぜえます・・・
ん?旦那?これ・・・半分より多くございませんか?
いやぁ、いいじゃあありませんか
どうぞやってください、ほんの気持ちですから・・・
いやあそれにしても、今日はもうお見えにならないと思ってましたよ、大分遅かったんで・・・
そうなんですよぉ、商売だともうそろそろいいかってとすぐ切り上げて来れるんですが
用足しってのはこっちばっかりの都合じゃあありませんから遅くなっちゃって、へっへっへ・・どうもすいません・・・
・・ごくっ・・ごくっ・・はぁ~・・
もう若い頃から私は飲むばかりですよ本当・・・へっへっへ・・・
今になるとああ飲めて良かったなって思いますよ、年をとってくるってとだんだん楽しみが失くなってきますからね・・・
商売してる時でも終われば飲めるんだと思えば、それがね、励みになりますからね?
結構なもんですこのお酒っていうものは・・・
ごくっ・・・ごくっ・・
恐れ入りますが・・・もう半分くださいな
へい、かしこまりました・・・
へい、どうぞ!
ありがとうごぜえます・・・
すいませんねえ、なんにもつまみをとらないで・・・
いえいえ!気にしないでください!
うちはお酒を売るのが商売ですから、おいしく飲んでいただければそれでいいんですから!
それよりも前から聞きたいなぁと思ってたんですが・・・
どうしてそうやって半分半分って召し上がるんです?
うちは量りはきちっとしてるんでねえ、半分ずつ二回飲んで一杯、もう全く変わらない、同じなんですよ、ええ・・・
まあ他のお客様で、今日はちょっと飲み過ぎたんだけどあともうちょっと飲みたいから、いっぱいだと多いからもう半分だけなんというお客様には勿論差し上げてるんですが・・・
おじいさんみたいに初めから半分ずつ飲むという方はうちじゃあ始めてで、あの~みんなでもって話をしてたんですよ、一体どういう訳なんですか?
はあ・・そうですか、やっぱり気にしてらした・・・へっへっへ・・・
いや別にこれと言って深い意味がある訳じゃあないんです・・・
ええ、まあ早い話がしみったれなんでしょうねぇ・・・
なんかねえ、仮に一杯ずつを三杯いただくより、半分ずつ六度いただいた方が何か余計飲めるような気がするんですよ・・
ええ、何か事実よく酔うような気がしますな・・ええ・・そんだけ楽しめるから・・
へっへ、他じゃ嫌がられるんですが、ここじゃ安心して飲めるから甘えてやってますが、これねえ・・・
不思議なもんでやっぱり半分ずつ飲んでる方がはるかにうまいんですよ!
ええ!真にすいません・・・
もし気になったら・・・
ごくっ・・・ごくっ・・・
はぁ~・・・
もう半分下さいな・・・
なんてんで、妙な癖のある人で、もう半分もう半分と六度、三杯ですな・・・飲んで・・
ああいい心持ちになりました!じゃあいつもと同じでよろしゅうございますか?
へえへえ、それじゃあここにお帳目(お勘定)置かせていただきます・・・
ありがとうございました!
こちらこそ!ありがとうございました!
おじいさん出て行ったので、一旦表を閉めて・・・
お帳目をちゃんとしまって、茶碗を片付けて台ふきを持ってきて、そこんところを拭いていて、ひょいっと見るってと・・・
おじいさんが座って降りましたすぐ隣の空樽の上に風呂敷包みのようなものがある・・・
なんだろう、あ、おじいさん忘れて行ったんだ・・・
まだいるかな?
あ、行っちゃったか・・・しょうがねえな・・・
まあいいや、明日また来るだろうからなあ・・・
う~ん・・なんなんだろうなぁ・・・
ってんで中身を見るってと、二十五両包みが二つ・・・
とにかく五十両という金は大金でございまして・・・
てえへんだこりゃあ・・・
えぇ?
おい!ちょいと出掛けてくるよ!
どうしたんだい?何?何があったの?
いやいや今までもう半分のおじいさんがな、八百屋のおじいさんがいたんだけれども、忘れ物しちゃったんだよ!
だから届けてやろうと思って、行ってくるからあと頼むよ?
大丈夫だよ、もういいじゃないかぁ~商売終わったのにさぁ・・・
何もそんなことしなくたって預かっておいてあげればさ~
またどうせ明日来るんだろうからさ、ねっ?よしなよ、くたびれてんのに・・・
いいじゃないかそこまでしなくったってさ・・・
いやそれがな?これうっかり預かれねえんもんなんだよ・・・
金なんだ・・・
お金?
へ~・・・どのぐらい?
はした金なんかじゃあねえぞ?
切り餅(二十五両)が二つ!
あら!五十両?
まあ、あのもう半分の・・・八百屋のおじいさんが?
どうしてそんな大金持ってるんだろうねぇ・・・
いやぁどうしてかは知らねえが、事実ここに五十両あるんだい・・・
人から預かったものかも知らねえ・・・
とにかくきっと大事な金に違いねえと俺は思うよ?
だから金がねえってのが分かって、おじいさんまた夜道を探したりなんかしねえといけねえ
心配するだろうからさ、これからひとっ走りしておじいさんに届けてやるから・・・うん、あとは頼んだ
もう~いいじゃないかさぁ・・・
そんなことしなくったって大丈夫だよぉ・・・
第一どっちに行ったか分かってるの?
ん?いやこれからうちへ帰るってそう言ってたよ?
お前さん、あのおじいさんのうち知ってるの?
いやうちは知らねえけど、前にここ来て飲んでるときに話してたんだ、うん・・・
なんでも橋北だそうだ、まだ橋の所には行ってねえと思うんだ・・・
だからこれからちょいとひとっ走りしてな?大丈夫だ年寄りの足だ、すぐに追いつくよ!
いいじゃないか、いかなくたったさぁ・・・
ちょっと・・・ちょっとこっちへ来てごらんよ・・・
なんだい・・・
なんだいじゃないよぉ・・・それが預かったものかい?
ちょっとあたしに持たしてみておくれよ、五十両?
持ったことないねえ・・・ちょっと持たしておくれよ・・・
なんだよもう・・ほら・・
へ~・・たいそう重いもんだねぇ・・・
これ五十両かい・・・
そう・・それじゃあこれあたしがちゃんと預かっておくよ・・・
よしな、よしなよ!えぇ?
それは大金だよ!?なんか間違いがあったらどうするんだい?
大丈夫だよぉ~・・間違いなんかありゃあしないよぉ・・・
いいんだよ、大丈夫!
そうか?いやぁ心配するんじゃねえかと思うからさぁ!
いいよぉ・・そんなこと・・・
向こうが勝手に忘れてっちゃったんだからさぁ・・・
お前さん、いつも言ってるねえ、こんなケチな商売、いつまでもしてたくないって・・
もっと店を大きくして人を雇って、しまいにはこの千住で指折りの店にしたいってよくそう言ってるねえ・・・
なんだい急にそんな話をして・・・
そらそうだい、俺ぁいつだってそう思ってるよ!
じゃあ・・・
したらいいじゃないか・・・
したらいいじゃないかったっておめえ・・・
まとまった金がいるんだよ!?
ここにあるじゃないか・・・
どこに!?
これだよ・・・
なっ・・これ・・だっておめえこれは・・・
おじいさんの金じゃあねえか!
だからさぁ!
もらっちゃうんだよ・・・
もらっちゃうんだよったっておめえ!!
くれねえだろ!
当たり前だよバカだねぇ・・・
子供みたいなこと言ってんじゃないよ?
くださいって言ってくれるわけないよ、黙ってとってちゃうんだよ!
とっちゃうんだよって・・おめえそんなことして・・・
おじいさん取りに来るじゃねえか!
なかったって白を切るんだよ!
おめえ・・そりゃあよくねえよ・・・
よしなよ!おめえ人の金を!!
し~・・・人がまだ通ってるよ・・・
何言ってんだよもう・・いいじゃないか・・・
なんでそんなにお前さんは正直なんだよ・・・
まあそれが取り柄と言えば取り柄だけどさぁ・・ダメだよ~お前さん・・・
正直なことばっかりしてるってとね・・・
生涯貧乏な暮らしばかりしなくちゃいけなくなっちゃうんだよ?
あたしはもうず~っと子供のころから貧乏のどん底だろ?ねえ・・・
ほとほと貧乏なんてものは嫌なんだよ・・・
貧乏のためにねえ、嫌なこと、本当にこんなことしたくないなんてことも随分したよ・・
あたしが骨(コツ)でもって仕事してたのもそのせいじゃないか・・・
まあそのおかげでお前さんと会えてさ、こうして一緒になれたけども・・
それだってずっと貧乏じゃないか・・・
だからもうあたしは本当に早くねえ!こんな暮らしから抜け出したいんだよ!
お前さんがなんとかするったっていつになるか分かりゃしないんだからさぁ・・・
いいじゃないかぁ!ねえ!
そのお金でさぁ・・ちゃあんと店を大きくして女の子でも置いてごらん?
必ず繁盛するよ!そしたらまたそのお金を貯めておいて大きな店にするんだよぉ!
だからさぁ・・・
千住で指折りじゃないよ?千住で一番の料理屋になれるんだよ?
江戸で指折りになれるよ、そうなれば!ね?
そうしようじゃないかぁ・・お前さん!ねっ?お前さんの夢だろ?
いやそりゃあ・・夢かもしれねえけど・・・
なぁ!俺ぁそんなことまでして、てめえの夢を叶えてぇとは思わねえよ・・・
そんな非道なことをして得た金でもってなんかやったってうまくいくわきゃあねえよ!
お、俺はそ、そんなことはしたくねえな!
だ、ダメだよ!
第一あのおじいさんが戻ってきたときに白を切れったって俺ぁそんなことは出来ねえよ!
それは分かってる、お前さんには出来やしないよぉ・・・
お前さんには出来ないからあたしに任しておきな!?
うまい具合に追い返しちゃうから!
お前さんは裏へ行ってればいいんだよ?
このお金をどっかに隠してさ・・・
悪いのは承知のことだよ?馬鹿だねぇ・・
あたしもお前さんも天涯孤独だよ?子供がいないんだよ?
他に類が及ばないじゃないか、何があったってさ・・・
やってみるんだよぉ・・本当に度胸がないんだからお前さんは男のくせに・・
何を言ってんだよ!?長い浮世に短い命、太く短くって言うだろ?
心配するんじゃないよ、あたしの言うこと聞いてりゃあなんとかなるんだから!
なんとかなるんだからったっておめえ・・・
そんなことどうも・・俺ぁやだな・・・
何言ってんだよ、あたしの言うこと聞いてなさい!?
さぁこれお前さんに渡すから・・・
どうすんだじゃないよ、釜戸!もう冷えてるだろ?その中に入れて灰でもかけちゃいな!
そうすりゃあ分かんないんだから・・・ねっ?
それからお前さん裏へ行って、あたしがいいよって言うまで入って来ちゃいけないよ?
ほらほらほら・・・足音聞こえてきたよ、あのおじいさんじゃないかい?
ほらほら顔出すんじゃないよ!?分かったね!?
もう半分を聞くなら「古今亭志ん生」
古今亭志ん生の落語は洒脱で自然体かつ飾らないスタイルが特徴です。一方で「もう半分」は単に怖いというよりは、人間の卑しさ・傲慢さといった意味での怖さを持った落語です。
普段は深いユーモアと人情味のあるキャラクターである志ん生がどのように演じるのか、興味をそそられる一席です。
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ドンドンドンドン!(戸を叩く音)
すいません!酒屋さん酒屋さん!!
ドンドンドンドン!
すいません!酒屋さん!!酒屋さん!!旦那旦那!
八百屋でございます!恐れ入りますがちょっとここを開けていただきたい!!
はい!はい!ただいまただいま・・・
どちら様?え?あぁ!八百屋のおじいさんですか!
ちょっとお待ちくださいな、今開けますから・・・
あんまりドンドン叩かれるってと戸が壊れちゃいますから・・・
さあお入りになって!
まぁ~・・どうしたんです?そんなに慌てて・・・
なんかあったんですか?
はぁはぁはぁ・・あいすいません・・・
あたくしここに忘れ物をしてきてしまいましてな・・・
あらまぁそれはいけませんね、さあさあどうぞお入りなさいまし!
どこに何を忘れたんでございます?
ここに・・あれ?・・・ないな・・
ここんところに汚い、これっばかりの風呂敷包みが・・・
あ、あ・・あるはずなんですが・・・ここにないんです・・
どうしたんでしょうね?
さぁ・・それはどうも知りませんねぇ・・・
忘れたんですかそこに・・・
置いたんですか?置いた覚えがある?
あ、ありますよ!
そうですかぁ・・置いた覚えがあるってんだったらそこに置いてあるんでしょうねえ・・・
ないところを見るってと何か他の・・・
いや他じゃあないんです!間違いなくあたしはここに置いたんですよ!
それがなくなってるってのは、どうしちゃったんだろうなあ・・・
ちょっとその下の方にでも落っこちてんじゃないんですか?台の下に・・・
覗いて見てくださいな、あたしも向こう側探して来てみますから・・・
どうです?ありますか?ない?よく見たほうがいいですよ?
あらこっちにもありませんねえ・・・樽の間もよく見てください?
ない?じゃあないんでしょう・・・まあ他の所ですよきっと・・
いえ間違いないんです!!ここにあたしは置いたんです!!覚えているんです!!
あのここに座って懐から出してあたしは置いたんです!!
そんな大事なものをなぜ懐から出しておいたんですか?
い、いやあ歩いているときはさほど気にならなかったんですがね・・・
この中に入れてここに座った途端になんだかずしっと重くなって苦しい気がしたんです・・・
それになんかこう、冷えてきたもんですからそれから出してここに置いたんです、間違いないんです!
あのきっと旦那は知ってると思いますよ?
ど、どっかに片づけてくれたんじゃないんでしょうかねえ・・・
あたしはここにお帳目を置きました、それで、出てったんです・・・
お帳目も無ければ、茶碗もございませんから・・・
きっと旦那が片づけたんだ、その時に必ず目に入るはずですよ!
きっとどこかにしまっておいてくれたんだ!
あの旦那は?
ちょっと用足しに出てますけれども?
まあそういうものがあればあの人必ずあたしに言うんですけどねえ・・・
何にも言わなかったところを見るってと無かったんじゃないんでしょうかねえ・・・
いえ!そんなこたぁありません!必ずここに置いたんですから!間違いはありませんよ!
じゃ、じゃああたくし旦那が来るまでここで待たせてもらいますよ!
ああ、結構ですよ、どうぞ?待つのは結構ですけれども・・・
何なんですか?そんな大事なものって・・・
え?
えぇ・・まあ信じちゃいただけないと思いますが・・・
その汚い風呂敷包みの中に五十両の金が入ってるんですよ・・・
まぁ・・・大金じゃありませんか・・・
へえ~五十両ねえ・・・
失礼ですけども、おじいさんがどうしてそんな大金をもってるんです?
え、えぇ・・はは・・・
いやぁこりゃまあ話をしてみなけりゃ分かりません・・・
疑われんのも仕方ないですよ・・・ええ・・
こう見えてもあたくしもね?
これで若い時分には深川八幡のすぐ前の大きな八百屋の跡取り息子でございましてねぇ・・・
その界隈では中々羽振りのいい店でございました・・・
ところがあたしがもう若い時分からお酒が好きで商売は人に任せて、ずっと酒ばかり飲んでまして、そこを悪い奴に目ぇつけられましてねぇ・・・
まぁある時、思案安易でそんな女だと思わないで手ぇ出したのが運のつきで、美人局(つつもたせ)に遭いまして金を随分盗られたんですが・・・
それだけじゃ済みませんで、あたしゃ酔っ払ってて覚えがないんですが証文を書いてたんですねぇ・・・
うちを明け渡すということが書いてあって、びっくりしてよ~く見るってと間違いなくあたしの手、名前が書いてあってうちの印形が押してあるんです・・・
いつそれを押したのか覚えがないんですが、間違いないんです・・・
ただ、こんなことがあるわけがない!あたしは覚えがないんだけどって言っても、向こうはダメなんですよ・・・
はなっからその気になってますから・・・
こういうものがあるんだからって証文を盾に一人や二人じゃないんですよ・・・
七、八人土足で上がってきての掛け合いでねぇ、もうどうにもならないんだ・・・
あたしもね、まあ昼間っから酒飲んでた罰だとあきらめてしまいましてねぇ・・・
それでそこを出て、今住んでる掃部宿(かもんじゅく)の方へ引っ越しをしてきたんですが・・・
まあ月日の経つというのは早いもんでね?
母親に手ぇひかれてよちよち歩いてた子が今年二十歳を過ぎまして・・えぇ・・
随分不憫な思いもさせたんでいいところに嫁にやりたいなぁ・・と思ってたらその娘が
『おとっつあんもう大分歳で、もう天秤を担いで方々商いして歩くのは大変だから、例え小っちゃくても八百屋の店を出して商売をしたらどうだ?元はあたしがこしらえるから』
と言うんで自分から娘が・・・まあお恥ずかしい話でございますが・・・
吉原へ身を売って・・こしらえてくれたんです・・
ええ・・で、今日その金を取りに来てくれと言うんで、取りに行きましてね、帰ってくるときに娘が
『おとっつあん、今夜ばかりはどこへも寄らないで、真っすぐお家へ帰ってくださいよ?お酒は飲まないでください、おっかさんにそのお金を間違いなく渡してくださいよ』って・・
わかったよ!そうするよ!ってあたしもそのつもりで帰ってきたんです・・・
真っすぐ家へ帰ろうと思ったんですが、こちら様の前を通ってどうしても我慢出来なくなって寄ったとこういう訳なんです・・・
ですから他へは寄ってないんです!!間違いなくここなんです!!
ここに置いたんでございますから!!だからその、きっと旦那が・・・
だ・・旦那!!
へ?あぁ、な~にお前さん・・帰ってたの?
もう~声ぐらいかけたらいいじゃないかぁ~黙って入って来てぇ・・
驚くよぉ・・なんかまるで今までそこにいたみたいじゃないかぁ・・
おじいさんがねぇ、うちにお金忘れたんだよ、そう言ってんの!
あたしは知らないよ?お前さんだって知らないだろ?
あそこらへんに置いたって言うんだよ、お前さん見たかい?
い、いやぁ・・そ、そんな金・・
そんな金おじいさん知らねえなぁ・・・どんなもんだか知らねえけど・・
忘れ物は・・・なんにもなかったよ・・・
え・・・
・・旦那ぁそんなこたぁないんです・・・
思い出してくださいよ!あなたここ片づけたんでしょ?
ここに置いてあったんだ!目に入らないわきゃあないよ!!
ね、ねえ!!覚えてんでしょ!?
思い出してください!思い出してくださいよ!お願いします!!
いやぁ、そんなもんは知らねえなぁ・・・
知らないこたぁないよぉ、旦那必ず見てるんだ!
どっかへしまって下さったんでしょ?
お願いですよ!旦那!ねえお願いですよ!!旦那!!
ねっ?あの金がないってとね、あたしはばあさんや娘に顔向けが出来ねえんだ・・・
生きちゃいられないんだから、どうか!!出してくださいよ!お願いしますよ!!
ちょっとおじいさん待ちなさいよ・・・
なんですか?この人がないって言ってんですよ?
知らないと言ってるのになんです!?出せ出せと・・・
なんだかうちの人がそのお金隠してるようじゃありませんか!!
馬鹿なこと言っちゃあいけませんよ!そんなに疑うんだったら結構ですよ?
そこら中くまなく探してご覧なさいよ!
でも、その代わり無かったときはどうしてくれるんでしょうかね?
ただじゃ済みませんよ?勿論・・・
それが気に入らないんだったら出るところへ出ましょうか?
こっちに身に覚えのないことなんですからこっちは一向に構いませんよ?
さあ!どうするんです?ねえ!どうするんです??
おじいさん・・・本当に・・な、なんにも無かったんだ!
だからおじいさんね、どっか往来でもって落っことしたんじゃねえのか?
金なんて重いもんだからさ、帯の下くぐってすと~んと落っこちることがあるんだから、もう一遍よ~く来た道を戻ってね、探したほうがいいよ!
だからさ、なんかの勘違いだ!
年取るってとよく・・そ、そんなことがあるんだ!?
そんなことはない!そんなことはないんだ!!
間違いなくあたしは懐から出してここに置いたんだから!!お願いしますよ!!
旦那!!お願いだから出しておくれ!!お願いだから出しておくれよ!!
何言ってんだろうねぇ、この人は!!
何度言ったら分かるんです!?
ないんですよ!!そんなものはうちには無かったの!!
それをあるあるって・・・
あぁ~そうですかぁ・・分かりましたよぉ・・・
はなっからないのを承知であるあるってそう言ってんでしょ?
それで因縁つけていくらかにしようってんだ・・・
ねえお前さん怖いねえ・・人は見かけによらないって言うが全くだ・・こういう人がいるんだから!ねえ!
優しいおじいさんみたいな顔をして、一皮剥きゃあどういう人だか分かりゃしないよぉ・・・
ねえおじいさん?
お前さん・・・騙り(かたり=詐欺師)だね?
か、騙りとはなんだ!騙りとは!
えぇ!?お前さん方の方こそ、 そうじゃないか!!
二人でもってあたしの金をどっか隠したんだろ!!
さあお出しなさい!出しなさい!!
ほら、こんなこと言ってんだ、早く出しちゃいなよ表に!!
わ、わかったよわかったよ・・・
お、おじいさんおじいさん、か、帰ってくれよ!頼むよ!
うちには何にも無かったんだから!あきらめて他探してくれ!さあ帰ってくれ帰ってくれ!
そんなことはない!出してくれ!
帰ってくれ!
出してくれ!
帰ってくれ!
なんて押し問答しているうちに、おじいさんの振り回している手が亭主の頭へ、と~んとぶつかった・・・
思わずか~っと来たんで『出てけ!』ってんで、ド~ンと突き飛ばすってと後ろへよろよろ~っとよろけて表へ出てった・・・
急いで戸を閉めようと思うってと、おじいさんが戻って来て戸を閉めさせまいとするんで、ぐぁ~っとこうやるから仕方がない
傍にあった天秤棒でパち~~ん!ってんで頭のところ叩いたら血がだらだら~っと出てきたんで、おじいさんもかぁ~っときて、『どうしても!!』ってんで中へ入って来ようとする・・・
しょうがないから、今度はみぞおちの所を棒でガ~ンと突くってと、『うぅぅ~~ん・・・』ってんで体を丸くして外へ転がり出て行ったんで、急いで戸を閉めてピシッと鍵を掛けちゃった・・・
はぁはぁはぁ・・畜生・・・ひでぇことしやがる・・・
間違いなくここに置いたんだ俺は・・・二人して人のことを・・
覚えてろよ・・・
・・・どうしたい?行ったかい?
行っちゃったよ・・・
そう、うまいったじゃないか・・・
はぁぁぁ・・・嫌だな俺ぁ!嫌だ・・・
おい!おめえな、あれやっぱりおじいさんへ返そう・・なっ?返そうよ・・・
何を言ってんだよ!?もうやっちゃったんじゃないか!!
今更返したっておじいさん許しちゃくれないよ!?
それどころじゃないよ?
『やっぱり金があったんだ!二人してそういうことをしたんだ!』って訴えられてごらん!!
あたしたちはね、暗いところへ放り込まれちゃうんだよ!?
そんなものはずっととぼけるんだよ!!とぼけてとぼけんの!!
分かんないんだから・・・よしなさいよ!そういうこと言うのは!!
よしなさいよったっておめえ、生涯苦しんじまうよぉ・・・
こんなことしたらぁ・・・
いや、だって考えてみねえな!!
娘はおめえ吉原へ身を売って作った金だってんだよ!?娘が可哀そうじゃあねえか!!
そんなこたぁないよ!
またお女郎になってまた、客騙しゃあいいんだよ!!世の中順繰りなんだよ!!
おめえそんなこと言ってもう・・俺ぁどうしても嫌だ!!
金貸せ!!金、お、おじいさんに返してくる!!
よしなさいよ!!
いいじゃあねえか!!
もう止めるのを振り切って金をまた釜戸から取り出すってと表へ飛び出してった・・・
どんどんどんどん駆け出してくってと、ちょうど千住大橋の真ん中の辺りでもって、おじいさんの姿がパッと見えた・・・
見るってとおじいさん手を合わせてしきりに拝んでおりましたが、橋の欄干に足をかけたんで・・・
おじいさんーーーーーーーーーーーん!!!
って声をかけるってと、おじいさん亭主の方をすっと見て薄笑いを浮かべるってと、そのまんま、どぼ~んっと飛び込んだ・・・
急いで助けようと思っても、てめえが泳げないもんですから、そのまんましょうがない・・・
がっかりして家へ帰ってきた・・・
もう半分を聞くなら「古今亭志ん生」
古今亭志ん生の落語は洒脱で自然体かつ飾らないスタイルが特徴です。一方で「もう半分」は単に怖いというよりは、人間の卑しさ・傲慢さといった意味での怖さを持った落語です。
普段は深いユーモアと人情味のあるキャラクターである志ん生がどのように演じるのか、興味をそそられる一席です。
\Amazon Audileで聞けます/
どうしたい?
・・じいさん・・橋の上から身投げしちゃったよ・・・
そう・・・そら世話なしだ・・・
おめえはよくそんなことが言えるなぁ・・・俺ぁ、もうどうしていいか分かんねえよ・・・
後ろ見るんじゃないんだよ!前を見てりゃあいいんだよお前さんは!!
何言ってんだよ、忘れなさい・・・
ねっ!?酒でも飲みなよ!
いいんだよ!!こうなっちゃったんだからしょうがないよ!
お前さん気にしたって・・・
あたしがそういう風にしたってお前さんそう思ってたっていいよ!!
それでいいじゃないか・・・
ねえ、とにかく一杯おやり!飲みなさい!飲んで忘れなさい!!
はぁ・・・
どんなに飲んだって忘れるわきゃあないんですが、もうとにかく後悔して後悔して、気にして気にしてどうにもしょうがないんだけれども、女房の方がず~っと強引ですから女房に引っ張られて言うことを聞いている・・・
その金を言われた通りして・・家を壊して、広くして、人を雇って女の子なんぞを置くってと・・・
これが結構はやるんです・・・
料理の数なんかを増やすってと辺鄙(へんぴ)な所ですけれども、遠くからわざわざ来る客が増えてくるんです・・・
昼間も夜も大変な繁盛になってきた・・・これは不思議なもんです・・・
そんなことをして作った金でもっても、うまくいくときはいくんもんですな・・・
今度また建て増しをする・・・どんどん大きくなっていく・・・
もう忙しいもんですから亭主もすっかり、その八百屋のおじいさんのことを忘れてしまいまして・・・
これぁ不思議なもんですねぇ・・始めてその二人の間に子供ができるってえやつで・・
本当かよ・・おい・・いやぁ・・・
いいことってのは重なるってえが全くだなぁ・・・
丈夫な赤ちゃんを生んでおくれよ?
生まれましたのが男の子で・・
おい、お手柄!大変だよ、ねえ!
男の子だ!跡継ぎだぜ!?嬉しいよ!
今お産婆さんがな?今こっちに連れて来てくれるよ!待ってろ!
おお!どうもどうも!お産婆さん!ありがとありがと!
ここへな、カミさんの傍へ寝かしてやっとくれ!
はいはい、すいません!ご苦労様!!どうも!
いやぁ~どうだい?きたよ傍に、ありがてぇなぁ・・・
あ・・・
こ・・こりゃあ・・この赤ん坊は・・
な、なんだいしわだらけだぜ?
そりゃあ、赤ちゃんてえのは・・・生まれてすぐはしわくちゃなんだよ・・・
そうかい?それだっておめえ・・・
こんなにしわが寄ってるもんかねえ・・・
第一この子は生まれながらにして白髪が生えて・・・
で、歯もこう生えてる・・・誰かに似てるな・・
お・・おい!・・・
あの・・もう半分の八百屋のじいさんにそっくりだぜ・・・
嫌なこと言うんじゃないよぉ・・・変なこと言って・・
そんなことはないだろう、どれ・・・
って見るって、もうとにかく目のくぼんでいるところ、鼻のつ~んと高いところ、頬がこけているところ、もうおじいさんをそのまま小さくしたような・・・
あんまりびっくりして見ているってと赤ん坊がパチッと目を開けて、ギラッとカミさんの方を睨んだんで、うぁぁぁぁ~~~!!!ってんでそのままそこへひっくり返っちゃった・・・
さあその場でいきなりそんな驚きに遭ったんですから、急いで医者を呼んできたんですけれども、もう手遅れでカミさん息引き取っちゃった・・・
亭主は赤ん坊は生まれるはカミさんは死んじゃったんで、どうしていいか分かんなくてとにかく弔いを致しまして、さあその子を前にしてじ~っと考えた・・・
これはきっとあのおじいさんの恨みがここへ出て来てるんだからこの子を大事に育てよう・・・
そうすればいくらかおじいさんに詫びが叶うかもしれないから・・・大事に大事に育てよう・・
自分は店へ出なきゃいけませんから、子守の婆やを頼んで、商売をしてるってとお婆さんすぐに辞めちゃう・・・
次の人を頼むってとまたすぐに辞めちゃう・・大抵一日、二日で辞めちゃう・・
お前さんも辞めるってのかい?どうしたんだよぉ・・・
何が気に入らないんだよ、何でも言ってみておくれ?お前の好きなようにするから!
嫌な奴がいるんだったらそいつを辞めさせるよ?
そんなことない?
お給金が少ないのか?増やそうか?
いえ・・そうじゃあないんですが・・・
あたくし、あのぉ・・怖がりなもんですから・・とてもここには・・
なんだいその怖がりなものってのは?なんかあるのかい?
ええ・・あのぉ・・お坊ちゃんが・・・
ほぉ・・赤ん坊がなんだい!?
ちょっとぉ・・・あたくし口じゃ言えませんが・・・
言ってくれよぉ!
今度またお前さんの代わり頼む時にさ、訳が分かっていれば頼めるんだから聞かせておくれ?
あたくしの口じゃとても言えませんから、それほどお知りになりたいんでしたら旦那様・・・
今夜、夜中に、あの~・・・
隣の座敷から様子を見てて下さいな・・・
分かったよ、じゃあそうしよう!
その日店が終わるってと、隣の座敷からふすまを細目に開けて、赤ん坊の様子を見てる・・・
夜はだんだんふけてきて・・・
八つの鐘がゴ~ン、ゴ~ン・・・
と鳴るってと今までスヤスヤ寝ていた赤ん坊がむくっと起き上がるってと、傍にいる婆やの寝息を伺ってからあたりを、
きょろっ・・きょろっ・・
っと見ておいてす~っと立ち上がると、ちょこちょこちょこちょこ・・・
っと枕の行燈の所へ来て、油をペロッ・・ペロッ・・っと舐めだした・・・
さあ隣で見ていた亭主が驚いた・・・
怖いには怖いんですけども、あんまり怖いんでびっくりして、サァ~っとふすまを開けるってと
こん畜生ーーーー!!!
っと拳を振り上げると、赤ん坊はふっと振り向いて
もう半分下さいな・・・
もう半分を聞くなら「古今亭志ん生」
古今亭志ん生の落語は洒脱で自然体かつ飾らないスタイルが特徴です。一方で「もう半分」は単に怖いというよりは、人間の卑しさ・傲慢さといった意味での怖さを持った落語です。
普段は深いユーモアと人情味のあるキャラクターである志ん生がどのように演じるのか、興味をそそられる一席です。
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