明治の時代の話でございまして・・・
その頃の探偵というものは今の刑事さんでございますがな・・・
その時分の探偵は見ると探偵らしいもんで、駆け出していると『あれは探偵だな?』なんという風にばれてしまうようなもんでございまして・・
とにかくいつになっても悪いことを捕まえるというとても責任の重い命懸けの御商売ですけれど、ただいまだってずいぶん色んなことをするものがございますが、まだ明治という頃ってと、夜になるととても暗い・・・
提灯をつけないととてもじゃないと見えやしない・・・
提灯のない人は手探りで歩く、慣れてくると駆け出せるようになる夜には・・・
その代わり明るくなると転んだりする・・・
ですから夜陰に乗じて悪さをするような奴も出てくるもんですな・・・
ちょうど本所の高橋(たかばし)というのがありますな、あそこは深川との境になっている・・・
その高橋というところから二町ほど離れた交番へ年頃24,5の男が飛び込んできて・・・

お願いでございます!

なんだね?

なんだねじゃありません!盗られました!

何を盗られた?

へえ、金を盗られたんです!300円でございます!!盗られました!

それは大金だ・・・

大金なんです、あの金がないとあたし生きていけないんです・・・

どうか捕まえて取り返してください!!

う~ん・・・どのくらいの人相だ?

それが人相は分からねえんですよ!

高橋から渡ってくるときにですね、いきなりあたくしの胸の所に頭をドーン!とぶつけられたんで

それでもってあたくしがひっくり返る途端に懐に手を入れて、財布を持っていくんでございます!

財布に紐はついてたのか?

紐はついていたんでんですが、ナイフで切っていっちゃったんです!

どうかひとつ助けてくださいまし!

うん・・では非常線を張っておくから・・・

どうかお願いします!非常線でも何でもどんな線でもあたくしが担いでいきますから!

いや非常線というのは担ぐのではない、いわゆる検問ってやつだ・・・

な?犯人は捕獲するから安心しなさい・・・

どうもすいませんでございます!
これから深川から本所へかけてず~っと非常線が張られてしまいまして・・
どっかで捕まらなきゃならないのだけれども、どこへ逃げ込んだかその犯人の行方は分かりませんな・・

な~べ~や~き~うど~~ん・・・
その時分は夜になりますってと鍋焼きうどんってなもんを売っている・・

うどんや~~~~な~べ~や~き~うど~ん・・・

おう!うどん屋!・・・うどん屋!

へい!うどんいりますか?

いや、うどんはいらねえんだ・・・

じゃあどうしてうどん屋って呼ぶの?

うどん屋って言ってるからうどん屋って呼んだんじゃねえか・・・

おめえに頼みがあるんだ・・・

悪いけれどもね、おめえのそのうどんの荷を俺にちょいと担がせてくれ

どうして担ぎたいんですか?

今急に担ぎたくなったんだ・・・

変だね~うどんの荷を担ぎたいだなんてぇ~

担ぎてえんだよ・・・

実は俺ぁ茶番やるんでな、それがうどん屋の役なんだよ・・・
※茶番狂言・・・歌舞伎の楽屋の中で、下積みの役者、大部屋役者たちが、楽屋の中にあるものやお茶菓子などを使って寸劇をしていたこと。

担いでみておかねえといけねえから担ぎてえと思うんだ、担がせてくれ

そうですか?

それとそのおめえのなりをそっくりそのまま俺に貸してくれねえか?

その着てる服こっちに貸してくれってんだよ

う~ん・・・でもなぁ・・・

いいから貸してくれよ、俺の着物と交換だ
うどん屋から奪うようにして借りるってと、うどん屋のなりをして、そして荷を担いで・・・

うどん屋~

もしもし!もうそれだけ担いだらいいでしょ?

あたくしだって商いして歩かなくちゃならないんだからねぇ!

もう少しだ

あぁ~もう少しもう少しってだめだよ、どこまで行くの?

しょうがねえなぁ本当に・・・担いだんだからもういいでしょう!?

もう少しだ!

もう!しょうがないねえ・・お前さんがうどんうどんったって売れやしないんだから・・・

そんなへっぴり腰でもってねえ・・う~ん・・・どこ行くんです?
後からうどん屋が荷を返してもらおうと思って、付いてまいりますってと、あれから東橋を通りまして、花川堂から弁天山の寂しい所まで来た・・・

もう返してくださいよ!

返してやるよ・・さっ、俺の着物よこしねえ・・・

どうだ俺の担ぎっぷりは?

あんまり良くないねぇ・・・

もう少しその腰がきまらなくっちゃね、まあいいや

おめえ俺を何だと思う?

なんだったってあっしは分からないよ・・・

なんです?

俺か?俺は盗人だ・・・

へ?

盗人だ・・・

へぇ・・・じゃあ、あたしのその荷を持っていこうと思ったんですか?

冗談言うな、うどん屋の荷、盗んだってしょうがねえやい・・

俺ぁな?高橋の脇でもって歳の若え野郎を頭突きってやつにひっかけたんだ

なんですその頭突きってのは?

頭突きってのはな?すれ違う途端にこっちが転ぶふりをして、頭で向こうの胸にど~ん!とぶつかるんだ・・・

な?するってと向こうが仰向けにひっくり返らぁ!そこにまたがって財布をふんだくるんだ!

これを盗人のほうじゃ頭突きってんだ!

そいつにひっかけてな。財布をまきあげて逃げようとするってと、そいつがすぐ先の交番へ駆け込みやがったんだ!

こっちは大変だってんだ!どこ行くにも行かれなくなっちゃったんだ!

すっかり非常線張られちゃってなぁ!通り抜けることができねえんだ!

だからおめえのうどん屋のなりを借りてうどん屋になったんだ・・・

ここまでくれば本所・深川から出ちゃったもんだ・・・

警察のやつがどんな目つきしてやがったってこっちはこっちで抜ける道があるんでい!

へへっ、考えても見な!警察の警備なんざ、ざるだざる!間抜けな野郎がそろってるんだ!

まあおめえに助けてもらったんだ、ここに一円あらぁ・・持ってきな

いりません!

なに?

いりません!あたしはそんな泥棒からもらった金で借り合いを作った日にゃあ・・・

俺ぁ借り合いを作るようなそんなしみったれじゃねえや!

こっちは大泥棒だ!とっときな!

いえ、とっときませんよ

どうしてもか?

ただもらうってのが嫌なんだ、じゃあこうしましょう・・・

こっちだってうどん屋っていう商売だ、うどん一杯食ってください、そしたらもらいましょう!

うどん?うどんは~嫌いだ!

そんなミミズみてえなもん食えるかってんだ・・・

そんな人の商売をミミズみたいだなんて、それじゃあこっちだっていりませんよ!

それじゃあ、おめえがどうしてももらわねえんだったら、こっちだってやらねえや

ちょっと待てよ!泥棒!

な、なんだ泥棒ってのは?俺がいつ、てめえのもんを盗んだ!?

名前知らねえから泥棒ってんだ!

なんでえ!?

じゃあ一円もらってやろう・・・

なんだ、やっぱり欲しいんじゃねえか!ほらっ!

その代わりうどん一杯食ってくれ・・・

また始まりやがった!俺ぁうどんは嫌いなんだよ!

一杯食ってくれ!

だめだ!食わねえ!

俺ぁきっと一杯食わしてみせるぞてめえに!

誰が食うもんか!

食わねえか!?

食わねえとも!

おめえ今なんつった!?さっきから聞いてりゃ腹が立つことばかり言いやがって!

てめえみてえのがいるからこの世の中はダメなんだ!

さあ!御用だ!

な、なんだ!てめえは一体なにもんだ!

刑事だ!

何!?

とうとう一杯食わされた・・・
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