一言で「湯屋番」を解説すると…
勘当された若旦那が女の裸見たさに湯屋の番台の仕事をやり、自分の妄想で大暴れする噺だよ!
主な登場人物
勘当されて居候しているバカ息子です!
若旦那の居候先の出入り大工、熊五郎です!
熊五郎のかみさんです!
若旦那に番台を任せた湯屋の主人です!
番台(若旦那)の妄想劇を見物した客です!
湯屋番のあらすじ
若旦那は吉原通いに夢中になり、ついに勘当されてしまった。今は大工の熊五郎の家の二階に居候の身。
働かずに遊んでばかりの若旦那に困った熊五郎は、奉公に出ることを勧める。若旦那は湯屋で働きたいと言い出し、熊五郎に紹介状を書いてもらって湯屋にやって来る。
湯屋の主人からは、木屑拾いや煙突掃除の仕事を勧められるが、若旦那はそれを断り、女湯を見たい一心で番台の仕事を希望する。しかし、実際に番台に上がってみると、女湯には客がいない。
がっかりした若旦那は、女湯に来た客が自分に惚れる妄想を始め、一人芝居を展開する。
その奇妙な様子に気づいた男湯の客たちが集まってきて、若旦那の妄想劇を見物し始める。中には見物に夢中になり、軽石で顔をこすって血だらけになった客も…
妄想はエスカレートし、一人の男が若旦那に「帰るから下駄を出せ」と怒鳴る。しかし、下駄が見つからない。若旦那は平然と「そっちの高そうな下駄を履いていきなよ」と答える。
男が「それでは他の客が困るだろう」と言うと、若旦那は「順番に履かせて、最後の人は裸足で帰ればいいんだよ」。
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番台の役割と湯屋の歴史
現代では、若旦那の仕事である番台が存在する銭湯も数が減ってきました。ここでは番台の役割と「湯屋」の歴史について整理してみました。
番台の役割
番台の役割は主に2つ。
- 入浴料の支払い、タオルや石けん、飲料等の販売を行う受付。
- 銭湯利用者の安全管理。
銭湯の受付であり、客の出入りを管理する役割を担っています。
また、客の荷物の管理や、必要な場合には助けを求める客への対応も行います。番台に座ることで、銭湯全体の管理を行い、安心して利用できる環境を提供しています。
なるほど!客の管理をする間に女湯を覗くのねっ♪
湯屋の歴史
年 | 内容 |
1600年頃 | 銭湯の誕生:湯屋が庶民の間で利用されるようになる。元々は蒸し風呂型式の「風呂屋」や混浴の形式が一般的。 |
1591年 | 江戸の銭湯の発祥:伊勢与市(いせよいち)が現在の東京千代田区に「せんとう風呂」を建設。この銭湯が評判を呼び、江戸全体に広まるきっかけとなる。 |
1700年代 | 銭湯の増加と混浴の人気:銭湯の数が増え、混浴が一般的に行われる。経営者にとっても混浴は設備費が安く済むため、人気が高まる。 |
1810年 | 銭湯の増加:この時期、江戸には523軒の銭湯が営業していたと記録されている。江戸っ子の銭湯好きが伺える。 |
江戸時代後期 | 混浴の規制:混浴と湯女の存在が風紀を乱すとして、幕府から混浴禁止令や湯女の人数制限が出される。しかし、これらの法令はあまり守られなかった。 |
1868年以降 | 銭湯の構造の変化:明治政府は西洋人の批判を受け、混浴を禁止し、開放的な銭湯にシフト。 |
1877年 | 改良風呂の登場:東京神田に天井の高い開放的な銭湯が登場。浴室と脱衣場が一体となった「改良風呂」が普及し、現在の銭湯の基本構造が確立される。 |
1908年 | 銭湯の増加:東京で1217軒の銭湯が存在する。この時期、タイルやカラン(蛇口)などが登場し、銭湯の設備が充実する。 |
1968年 | 銭湯の最盛期:全国の銭湯の数が18325軒に達し、最盛期を迎える。 |
元々は混浴が一般的だったことから考えると、落語「湯屋番」の時代背景は、ちょうど混浴が禁止された1868年頃だったのかもしれませんね。
混浴なら番台なんてやらずに済んだのに悔しいじゃぁないか…
参考記事
現在「番台」が残る銭湯は東京でも66件残っています。
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