一言で「真景累ヶ淵~豊志賀の死」を解説すると…

嫉妬に狂った師匠・豊志賀の恨みが、新吉とお久に災いをもたらす噺。
主な登場人物

三味線の師匠をやっております、豊志賀です・・・

煙草売りをしながら豊志賀の手伝いをしている新吉と言います・・・

豊志賀の元で三味線の稽古を付けて頂いております、お久です・・・
詳細なあらすじ
皆川宗悦は盲目の鍼医者で、根津七軒町に住んでいたが、旗本に斬り殺されて命を落とす。彼の長女・志賀は、その後「豊志賀」として三味線の師匠をして暮らしていた。39歳になっても美貌を保ち、厳格で評判の良い師匠だったが、弟子の男性たちとは深い関係を持たなかった。
そんな中、21歳の新吉という若者が現れる。新吉は煙草売りをしながら豊志賀の家の手伝いをしており、やがて豊志賀と親密な関係になる。彼女は新吉に対して恋愛感情を抱くようになり、次第に新吉を特別に扱うようになる。この関係が影響して、他の弟子たちは次々と豊志賀の元を去っていった。
しかし、一人だけ残った弟子がお久という18歳の娘だった。お久は継母にいじめられており、その避難所として稽古を続けていた。お久は愛嬌のある娘で、新吉とも年が近く、自然と親しくなっていった。この状況に嫉妬した豊志賀は、お久に対して厳しく当たり、稽古中に意図的に彼女をつねるなどしていた。
嫉妬心が次第に強まった豊志賀は、そのストレスが原因となり、顔に腫れ物ができ、体調を崩してしまう。腫れ物は日に日に悪化し、ついには彼女は床に伏せるようになった。病に倒れた豊志賀は、新吉に対しても冷たい態度を取るようになり、「お前が私を捨ててお久と一緒になれば、私はお前を呪う」と恨み言を繰り返す。
看病に疲れた新吉は、ある日家を出て、偶然お久と出会い、二人で下総へ駆け落ちしようと話し合う。しかし、鮨屋での会話中、お久の顔に突然腫れ物が現れ、まるで豊志賀の姿に見えたことで、新吉は驚き、逃げ出して叔父の勘蔵の家に向かう。そこでは、勘蔵が「豊志賀が駕籠で来ている」と言うが、それは豊志賀の幽霊だった。
新吉が家に戻ると、豊志賀はすでに亡くなっており、彼女の書き置きには「新吉を呪い、七人まで取り殺す」と記されていた。新吉は彼女を葬った後、お久と再会し、二人で下総へ逃げようと決意する。
真景累ヶ淵~豊志賀の死
真景累ヶ淵~豊志賀の死を聞くなら「金原亭馬生」
金原亭馬生の「豊志賀の死」は、嫉妬に駆られた師匠の執念と怨念を描いた怪談噺である。馬生の静かな語り口が、物語に不気味な緊張感を与え、豊志賀の悲劇的な末路が一層際立つ。怪談の魅力と落語の語りの妙を堪能できる一席である。
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累ヶ淵伝説との関係
『真景累ヶ淵』の舞台となる累ヶ淵(かさねがふち)は、茨城県常総市羽生町に実在する地名であり、古くから怪異の伝説が伝わる場所だった。
🔹 累の物語
累(かさね)は、実の父に川に投げ捨てられた異母姉・助(すけ)の怨霊が生まれ変わったとされる女性である。
- 父・与右衛門は、助の醜い容姿を嫌い、川に突き落として殺害。
- その後生まれた娘・累は、助に生き写しであったため「助の祟り」と噂される。
- 婿・谷五郎に疎まれ、川に突き落とされて殺害される。
- 累の怨念は後妻や娘に次々と取り憑き、最後に祐天上人(ゆうてんしょうにん)によって成仏する。
この物語は、後に『色彩間苅豆』や『真景累ヶ淵』として脚色され、日本の怪談文学の代表作となった。
現代における累ヶ淵の作品
特に有名な作品として、1957年の中川信夫監督による『怪談累が渕』があります。この映画は、三遊亭円朝の落語『真景累ヶ淵』を原作としており、累ヶ淵の伝説を基にした怪談映画です。
また、1960年には安田公義監督による同名の映画『怪談累が淵』が公開され、こちらも累ヶ淵の物語を題材としています。
これらの作品は、累ヶ淵の伝説や物語を現代に伝える貴重な資料となっています。特に、1957年の中川信夫監督版は、怪談映画の名作として評価されています。
ご参考までに、1957年版『怪談かさねが渕』のプロモーション映像をご覧ください。
もっと最近の作品では、漫画「累(かさね)」を原作とした土屋太鳳と芳根京子のダブル主演により演じられた映画(2018年)も記憶に新しい。
伝説の女優の血を引く累(かさね)は抜群の演技力の持ち主だが、自身の醜い容貌を恨んでいる。
一方、美貌に恵まれたニナは、女優として大成するための演技力を求めていた。やがてふたりは累の母が遺した不思議な口紅を使い、お互いの“顔“を入れ替えるが……
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