皆川宗悦という鍼医が深見新左衛門という御家人に殺されたというのが、この真景累ヶ淵という話の発端でございます・・・
根津七軒町に住む豊本の師匠で豊志賀という人がおりまして、これは殺された宗悦の姉娘・・・
そして妹におそのというのがいたんですが、これがまた大変に悲惨な最後を遂げた・・・
それでいて兄弟想いですから、豊志賀はもう悲嘆にくれまして、豊本の稽古どころではない・・・
稽古所の看板を引っ込めてしまって、毎日毎日泣いております・・・
ところがいくら泣いたところで、妹のおそのが生き返るわけじゃない・・・周りの人も心配して、
そんなことじゃダメだよ!自分のことを考えさない!稽古をすれば、気が紛れるからまた稽古を始めなよ!
真景累ヶ淵~豊志賀の死を聞くなら「金原亭馬生」
金原亭馬生の「豊志賀の死」は、嫉妬に駆られた師匠の執念と怨念を描いた怪談噺である。馬生の静かな語り口が、物語に不気味な緊張感を与え、豊志賀の悲劇的な末路が一層際立つ。怪談の魅力と落語の語りの妙を堪能できる一席である。
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そうですか・・・
ってんでみんなに進められて、また豊本の看板を出す・・・
そうすると、今までのお弟子さんがすっかり戻ってくる、それだけじゃなくて新しいお弟子さんも増えたりなんかして、余計に評判がいい・・・
昔は稽古所というのがあったんだそうですが、流行っているところと流行っていないところというのがある・・・
流行らないところというのは、師匠が男だっていうとこれはどうも流行らなかったそうです・・・
ああいうところへいくお弟子さんのあらかたが娘さんですから、親御さんの方が心配で、師匠とどうにかなっちゃ困るってんで、お稽古にやらせない・・・
それで男の方はというと、
男だってさ!あそこの師匠!
えぇ!?なんだよ本当に!よく男でそんなことを稽古しやがるねぇ!
ふざけやがって!馬鹿にすんねぇ!
別に馬鹿にしてるわけじゃないと思うんですけれども、こういうわけで男の弟子は行かないわけですので、繁盛しないわけで・・・
どうもやっぱり女でなくちゃいけない、それで女ならばどんなお師匠でもいいかというとやっぱりそうではなくて、身上が悪いってといけないそうです・・・
うちの娘がそういうお師匠の真似をされたら困るからってんで、親御さんが娘を稽古にあげない・・・
それで男の方もそういうお師匠でいいかと言われるとそうではないですな・・・
冗談じゃねぇや!あれともデキてて、あっちともデキてんだってなぁ!
馬鹿にしてんな!行くな行くな!
ってんで男のお弟子さんも出てこない・・・
まず堅くって女っぷりのいい方がいいんです、そして芸がしっかりしている。
この三拍子が揃っているってとこれは大変に流行ったそうですな・・・
それでこの豊志賀という人は歳が三十九で、美人というわけじゃないんですがどことなく婀娜(あだ)っぽいところがあって、小股の切り上がったいわゆる小粋ないい女・・・
※婀娜っぽい→美しく、なまめかしい様。
それで男嫌いで長いこと通しております。それで行儀が良いというので、大変に評判がよく、ご大家の娘さんから長屋の娘さんまでここのお稽古にきている・・・
男嫌いだから、男のお弟子さんを取らないのかと言われますと、そういうわけじゃない・・・商売ですから、男のお弟子さんも取る・・・
お弟子になるという男の方も、男嫌いじゃしょうがねぇなと諦めるかといえばそうじゃない・・・
男嫌いと言うけどよぉ!俺がいけばそうじゃないよ!
あの人の料簡を変えさせよう!
なんてんで、自惚れたやつがいるんです。
こういう連中がいっぱい集まってくる・・・ 稽古は二の次です・・・
お互いに自分の料簡は見せませんから、なんとかこの師匠に取り入ろうてんで、師匠にいろんなことを言っておりまして・・・
あの師匠!これね!実は、あの〜私の知り合いの呉服屋がね?
おかみさんにどうです?ってんで、持ってきたんだよ・・・
ところがねぇ!うちのかかあは何着せたって同じなんだよ!
こういうのはうちのかかあには着こなせないから、ね?
師匠みたいに粋な人だってと、着ると柄が派手るからさ!
だからひとつ着ておくれよ!
あらまぁどうもありがとうございます・・・
あの師匠!これ桃園(台湾)から送ってきたんだ!
うめぇ干物だよ!?これお上がりよ!
ありがとうございます・・・
いろんなものを持ってきてくれる・・・ 変わり者にもなってくると、
ダメだなこの壁は!塗り直さないってと!
みんな塗らねぇなら俺が塗り直すぞ!?いいんだよこっちは商売なんだから!
それで襖とか障子ね?半公に言って変えさせようじゃねぇか!畳は吉公だ!
なんてんで、人の領分までどんどん荒らすんです・・・
こういう物質でもって、奉仕のできない人はってと体でお返しをしよう、なんか気に入られようなんてんで、朝早く来て、水瓶の水を汲みこんで流しの掃除をする、憚り(トイレ)の掃除もする、挙句はぬかみそまでかき混ぜようなんというマメな人もいる・・・
そういう連中に集まって、近頃顔を見せるようになったのが、久屋大門町でもって煙草屋をしております、勘蔵という人の甥っ子で新吉という今年二十一になる男で・・・
色白でもって、なかなか愛嬌のある目足が効いて、嫌味のないすっきりとした男でございます・・・
小僧の時分には本国町にありました、松田という貸本屋へ奉公をしていたんですが、これが倒産をしてしまった・・・
しょうがないから、おじさんの所へ戻ってきて、おじさんの商売を手伝うことになったんですが、店が狭いもんですから、人手はいらない・・・
お前ねぇ、貸本屋へ行ってたんだろ?
方々に顔つなぎが出来てんだから方々に売って歩いた方がいいよ?
あぁそうですか・・・
煙草を箱の中に入れまして、風呂敷へ包んでこいつを背負って、あっちこっちへと商って歩きます・・・
なるべく人の寄っているところがよかろうってんで、ここならばとすっと入ってきたのが、この豊志賀の所です・・・
元々芸事の好きな男ですから、こりゃいい所へ来たなと思ってじ〜っとしているってと大勢お客様が待っている中でもって、
煙草切らしちゃったよ!?誰か持ってねぇかなぁ!?
あの煙草でございますか?煙草ございますよ?
お?おめぇ煙草屋かい?
ならちょうどよかった!五文ばかりでもらおうか!
俺ももらうよ!
こっちもだよ!
方々から声が掛かっていい商いになる・・・それから毎日豊志賀の所へ顔を出すようになった・・・
近頃じゃ朝顔を出すと、もう他へ廻りませんで、ず〜っと豊志賀の所へいる・・・
そして商いをしながら、そこの女中と一緒になって豊志賀のうちの中の用を足したりなんかして・・・
ちょいと使いに行ってもらえるかい!?
えぇ!ようござんすよ!
ってんで、お弟子さんのお使いになんか行ったりして、みんなともすっかり顔なじみになる・・・
お揃いだなんていうと、座布団をパァ〜っと並べて、楽屋でもって、お茶を入れる・・・
支度をしようというその人の手伝いをする、下足をやる、もう大変に気がきく・・・
ところが、自分が好きでやるんですから、はたから見ていても嫌味がございません。大変に人気があって、新さん!親公!新吉!ってんでもうお弟子さんからも大変です。
しばらく経つと、豊志賀のところにおりました女中さんが患っちゃったんで宿下りをさせた・・・
師匠!女中がいなきゃ困るだろ!?
ありがとうございます・・・
うん・・・そうなんですよ、何かにつけて不自由でございましてねぇ・・・
代わりをと思って頼んではいるんですが、なかなかいいのが見つかりませんで・・・
そうかい弱ったねぇそりゃあ・・・
どうだいあの、新吉ってのは?
え?
いやあれはみんなとも顔なじみだし、師匠だって気心が知れてるんだろ?よく働くしねぇ!
それに所帯を持ってないってのがいいよ?
おじさんとこに居候してるってんだよ?
男じゃいけないかい?
いやぁあたくしは構いませんけれども、みなさんがよろしければ・・・
あぁそうか!じゃあ俺が話をしてやろう!
ってんで話をするとこれは新吉は喜んだ・・・
元々芸事が好きなくらいですから、堅気のおじさんのとこにいるよりは、芸人のとこにいる方がなんか粋だし、人が大勢出入りしていて賑やか・・・
それで好きな芸事も覚えられるし、また食べるものだって、師匠のお上がりではございますが、乙なものが口に入る・・・
結構でございます!ってんで、それからはおじさんのところを出まして、豊志賀の所でもって朝早く起きて、おまんまを炊いたり、掃除洗濯、使いに行ったり、もう一生懸命働きます・・・
そして夜寝る時は、師匠が下に寝て、居候をしておりますので、新吉の方は中二階のような所で寝る・・・
十一月の二十日、朝から降り出した雨が夜になるってと余計雨あしが強くなって、そこに風が伴って、大変な天気でございまして・・・
はぁ・・・
新さん!新さんや!
へい!あの、何かご用でございますか?
あの・・・まだ起きてるのかい?
えぇ・・・どうもまだ眠れないんですよ・・・
そうかい、あたしもなんだか知らないけど今夜寝苦しくっていけないの・・・
う〜ん・・・妙な晩でございますねぇ・・・
あたしは元々寝つきのいい方で横になるとすぐにいびきをかく方なんです、えぇ・・・
それが今日に限ってずいぶんと寝苦しくって、寝そびれてるんですよ・・・
そう・・・なんだか知らないけど、本当に今日は不思議だよぉ・・・
ひどい降りじゃないかねぇ、雨の音が気になって寝られやしないよ・・・
本当ですねぇ、雨の音が気になって寝られませんねぇ・・・
なんだか知らないけど怖いようじゃないか・・・
えぇ、なんだか怖いようでございますねぇ・・・
本当に心細いねぇ・・・
えぇ、心細いですねぇ・・・
お前あたしの真似ばかりしてるじゃないか!
えぇ、あたしの真似ばかり・・・
まだやってんねぇ・・・
あのねぇ、今夜あたしはこの下で一人で寝ているの・・・
大変に心細いからさぁ、お前下へおりてきて、一緒に寝てくれないかい?
え、えぇ?あ、ああそうですか?
いやあのあたしもその方が心丈夫なんで、下へ参りますから!
布団と枕を担いで、ミシミシミシミシいいながら下へ降りてきた・・・
お前その布団一枚で、寒くないのかい?
えぇ!大丈夫ですよ!かしわもちと言いましてね?
端のところを持ちまして、くるくるくるっと回ると、すっかり包まれまして
風は入りませんし、えぇ!なかなか暖かでいいもんでございますよ?
ただこのかしわもちってのは、寝相が悪いと夜中にあんがはみ出しますよ?
しょうがないねぇ、大変だよ・・・
それじゃあお前さん、その布団を広げてさ、あたしの裾の方へお掛けよ・・・
そしてここへ入って、あたしと一緒に寝たらどうだい?
へ?
へっへっへ!冗談言っちゃいけませんよ、師匠何を言ってるんですか!
そんなとんでもない!もったいなくてバチが当たりますよ!
何を言ってるんだねぇ、こっちへお入りよ!
あたしだってなんか安心できるよ?ゆっくり寝られるからこっちへお入りよ!
だけどねぇ、師匠と寝てたらお稽古の早い時にお弟子さんに見られたら・・・
師匠と新吉がデキてるなんか言われたら弱っちゃいますよ・・・
何を言ってんだねぇ、そんなことはないよ〜!
あたしが男嫌いってのはみんな知ってるしさ、歳だって親子ほど離れてるんだからさ!
そんなこと気にするんじゃないよ!
ね?さっ!こっちへお入り!こっちへお入りよ!
えっへっへ・・・
どうもごめんください、こんばんはぁ〜・・・
なんてんで、ぐぅ〜っと入ってきた・・・
真景累ヶ淵~豊志賀の死を聞くなら「金原亭馬生」
金原亭馬生の「豊志賀の死」は、嫉妬に駆られた師匠の執念と怨念を描いた怪談噺である。馬生の静かな語り口が、物語に不気味な緊張感を与え、豊志賀の悲劇的な末路が一層際立つ。怪談の魅力と落語の語りの妙を堪能できる一席である。
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それで同じ布団に入って、さあこれでよく寝られるかといえば、これはよく寝られません・・・寝られるわけがないです・・・
そりゃあ本当に親子ほど歳が離れていれば別です・・・片っ方が七十近くで、片っ方は二十歳だったらこれはまだ寝られます・・・
ところが三十九というのはですね・・・
まだまだ!立派なもんです・・・
男でもって二十二という時分には年上のご婦人に憧れる年頃ですから、ひとつの布団に入って、さあ寝ようという時にはなんかこう気になって気になってしょうがない・・・
新吉の方がもうずいぶん意識をして、なんか動いちゃいけないかな?とこう思う・・・
息もあんまり立てないようにしてそ〜っと息を潜めている・・・
人間というのはそう長く静かにしていることができません、ちょいと動くってとそういう時に限って、ガサガサガサっとそれほどの音じゃないんです普段は・・・
そういう時に限って大きな音に感じるんですな・・・これは弱ったなとこう思っている。
そうなると、これがだんだんと片っ方のほうにも伝わってくるんです・・・
男嫌いと言ったって、本当に男はダメで、いわゆるあたしは女でいながら女でなきゃ・・・なんというそんなんじゃないんです男嫌いというのは・・・
男はもう厄介だから!男といると、なんか面倒臭いから!男は嫌です!男に騙されてもう二度と御免こうむります!と、こういう男嫌い・・・
今までそばへ男を近づけなかった・・・これが今をもって近づけちゃった。
大変な近くですから、時間が経っていくうちに体が触れる、手がどっかちょっと触る、そうこうしているうちにお互い気が合ったかのようにくるっと向き直るってと、
師匠!
新さぁん〜・・・
ってんで、色恋仲となってしまう・・・
深い仲になってみるってと、今まで長いこと男嫌いで通してきました、それがうんと歳の違う、それも若い男とそうなるってと、これはもう〜可愛くて可愛くてしょうがないです・・・
なんか色のような、亭主のような、倅のような、弟のような・・・
なんか冷たいようであったかい、お湯に氷入れて飲んでるような妙な気持ちでもう〜大変になっちゃう・・・
もう新吉新吉ってんで、例えば着るものでも、これを直して新吉に着せたら似合うだろう!ってんで着ているものをどんどんみんな直して新吉に着せる・・・
小遣いもやり放題で、こういうものが食べたいってと今夜それにしよ!ってんで、すぐに好きなものを食べさせる、なんというようなことになってくる・・・
最初のうちはお弟子さんたちにも分からなかったんですが、どんどん分かってくる。
というのが、今までは新吉は居候ですから朝早く起きまして、おまんまを炊いて炊きあがるってと煙草盆をもって師匠の枕元に行って、
師匠!おはようございます!
師匠が起きて、煙草を二、三服吸って、吹き殻をぽ〜んと叩いて立ち上がって憚りへ入るってと、すぐに布団を片付けて、座敷の掃除をする・・・
そして師匠がでてきて、流しでもってうがいをして、顔を洗って、神様、仏壇で拝んでいる間にお膳立てをいたしまして、流し鉢の向こうへ座るってとそこへお膳を運んでってご飯を食べさせる・・・
そうするとちょっと早いお弟子さんなんかはもう来ますから、
おはよう〜!ちょっと待ってて!
ご飯を食べて、すっかりご飯を食べ終わると今度はこれを台所に下げて、師匠が稽古を始める、今度は自分がおまんまをいただく・・・
こういう風にしていたのが、近頃じゃこれが逆になってきた・・・
新吉のやつはいつまでも寝ている、そうすると師匠が先に起きて、おまんまを炊きまして、そして枕元へ煙草盆をもってきて、
ちょいと新さん・・・新さん起きて!起きなよ!
ん・・・んん〜・・・
さぁ、煙草をお吸い?お吸いよ・・・
あ、あぁどうも、どうもありがとうございます・・・
もう〜ずいぶんと他人行儀な・・・
さぁ煙草を吸って起きんだよ?起きんの♡
あいよ♡
なんてんで、だんだん増長していきまして、そうすると師匠が着物を直したものを着て、流し鉢の向こうに座っていると、師匠がお膳を運んできて、お給仕をしてくれる・・・
それで二人でもっておまんまを食べている・・・これを今度は弟子が来てちょいとみれば、これは分かります・・・
これは大変だ、新吉と師匠がデキたというので、噂はパァ〜っと弟子の中に広がるってと、これは弟子の中の男連中は腹を立てます・・・
聞いたかよおい!冗談じゃねぇや全く!
いやさぁ!新吉と師匠とがデキてんだってよぉ!
俺もよ!こないだ行ってみたんだ、そんなことはねぇと思って!
したらなるほどねぇ!新吉のやつが師匠の着物直したやつを着やがってね?
流し鉢のとこで、あぐらかいてふんぞり返ってんだよ!
俺が入って、おう!って言ったら
「あぁ、どうも」なんてんで、落ち着いてやがんだよ!
それで師匠稽古してんだろ?俺は座って待ってたんだ!
そしたら新吉が脇に置いてある、蓋盆の中から甘納豆つまんじゃ食べてんだよ!
そりゃまぁいいけどよ、そして師匠が一人稽古を終えて、一服しに流し鉢のところに来たよ?
そのうちに師匠がだよ?ひとつつまんで新吉の顔にポンとぶつけやがんだよ?
そしたら新吉が「おっ!?」なんか言ってそれをまたぶつけ返してんだよ!
そしたら師匠が
あらぁ・・・ひどいじゃない♡
なんてなことを言ってんだよ!それで二人でもってその甘納豆食っちゃニヤニヤしてるんだよ!
面白くねぇったってなぜその甘納豆俺に勧めねぇんだよ!
そうだろぅ!?別にその甘納豆を食いたかねぇけれどもさぁ!
そばにいるんだからおひとついかがです?くらいのこと言ったっていいってんだよ!
いや俺はそんなものは食いたかぁねぇよ!?食いたかぁねぇけれどもさぁ!
食いたくねぇならいいじゃねぇか!
いや俺も実はこないだ行って分かったよ?
なるほど、あれはただの中じゃねぇや!師匠がまるで違うんだから!
あんなとこバカバカしくっていけるかい!ひけひけぇ!
ってんで、男の弟子はす〜っといなくなっちゃった・・・
そうですってねぇ、伺いました、本当に堅い方だと思ってましたのにねぇ〜!
あんな若い人と不行跡なことをして、そんなところへは娘は上げておけませんからうちでは下げるんでございますよ?
あぁそうですか!じゃあうちでも・・・
ってんで、女のお弟子もす〜っといなくなちゃった・・・
さぁこれは大変に困りました。その中で未だにたった一人通ってきておりますのが、根津宗門前でもって小間物屋をやっております、そこの一人娘でもってお久さんという・・・
今年十八になります娘さん。色白でもってぽってりとしておりまして、笑うとえくぼなんか出来たりする、愛嬌のある可愛らしい娘さん・・・
これが通ってきて、こんにちわってんで新吉とふっと顔を合わせるってとニコニコっと笑うんです・・・
新吉も悪い気はしませんから、新吉もニコニコっと笑うんです・・・お互いに顔を見合わせちゃニコニコ笑っている・・・
これを脇で見ている豊志賀はもう腹の中が煮えくりかえるようになる・・・
心配で心配でしょうがない、やっと出来た自分より若い色を人に取られちゃいけないというので、年が同じくらいだったらいいんですが・・・
これが年の差が大変です・・・三十九といえば、もう四十ですから・・・
四十となるとその時分にはもうおばあさん・・・四十でおばあさんですよ?今そんなことを言うとしくじりますが・・・
そして片っ方の方は十八です・・・だから花に例えると、片っ方は今から大いに咲いてやろうという盛んな時期、もう片っ方はもう、ちょいとよれている・・・
肌の色艶も違う、これはもうどうしても敵うわけがないと思うから余計かぁ〜!っとしてまいります・・・
表には出さない・・・どういう時に出すかというと、稽古をつけている時に仇を出す・・・
どうしてそう・・・違うよ!
本当に覚えが悪いんだからねぇ!そんなこと教えた覚えはないよ!どこで覚えてくんの!?
違うってんだ!もう一度やってごらん!本当に覚えが・・・
違うってんだよ覚えが悪いねぇ!この子は!
そうじゃ・・・ないんだよぉ!
そうすると、お久さんというのは大変に素直な子ですから、「あ!こうやっていじめられながらお稽古をしていると、芸が上がるもんだ!」と思っています・・・
だから「はい・・・はい・・・」と言いながら一生懸命お稽古をしている。
豊志賀の方はいじめていじめて来ないようにしようと思っていますから、いろいろとやるんですが、それでも通ってくる・・・
というのが、このお久というのは小さい時分におっかさんと死に別れている・・・
継母に育てられていて、うちにいるとのべつやられているもんですから、あまりいじめられても苦にならない・・・
同じいじめられるんだったら芸が上がる方がいいからってんで、何も気にしないでどんどん稽古に通ってくる・・・
これまでしても稽古に通ってくるのは、やっぱり新吉に気があるんだ!と悋気の火が燃え盛って、逆上したのがきっかけで右の目の下にポツっとあずき粒ほどのできものができた・・・
初めのうちは指先に唾をつけて撫でていたんですが、なんかの拍子にひょいっと爪を引っ掛けた・・・それを咎めて、すぐに薬を塗ればいいんですけれども、これもまた何気なしに唾で撫でてた・・・
これがどんどんどんどん腫れてきまして、額から頬にかけて右半面大きく腫れがちゃった・・・
目がふさがれて、紫だって青黒く、傷口のところはもう膿なんかが出てじゅくじゅくしています・・・
これが今ならいい薬やもしダメなら、切開をするなんてこともできます。
その時分は塗り薬、煎じ薬しかありませんで、一向によくならない・・・
熱をもってズキーンズキーンと傷む・・・首から上の痛みというのはこれは大変に辛いものです・・・
食べ物も喉を通らない、水を飲むのがやっとというので、すっかり瘦せ細っちゃって稽古どころじゃございません・・・
どっと患いついて寝たまんまでございます・・・新吉の方は世話になっていますから、一生懸命介抱致します・・・
おい、師匠!師匠!寝てんのかい!?
師匠!おぉ、起きてんのかい・・・
薬もってきたよ?さぁ薬飲みなよ?
・・・ぁぁあ・・・ぁいよ・・・
やっとの思いで起き上がる・・・
ねずみ小紋の着物を寝巻きに直したと言うと聞こえがいいんですが、長いこと着古したやつですから汚れがついている・・・
袖口のところなんかはほつれちゃっている・・・
瘦せ細ってやっとの思いで薬を飲んで、ぜぇぜぇぜぇぜぇ息をしている・・・
どうだい?少しはいいかい?
いやぁ、同じだよぉ・・・ちっともよくなりゃしないよ・・・
そりゃしょうがねぇやな・・・すぐに治るってもんじゃないよ?
気長にしてなくちゃダメだよ・・・イライラするってとかえってよくねぇぜ?
イライラもすらぁね・・・毎日毎日こんな思いをして、嫌だねぇ・・・
私はねぇ、新さん・・・
もうおばあさんだから、お前のように若くて綺麗な人に介抱してもらってんのは嬉しいけど・・・
お前は嫌だろうねぇ・・・
何を言ってんだよ!嫌なことはねぇや!
俺とお前との仲じゃあねぇか・・・
お、お前が具合が悪けりゃ、介抱すんのは当たり前だろ?
そんなつまんねぇこと言っちゃいけないよ!?
今度こっちが具合悪くなりゃ、今度はお前さんの世話になるからさ・・・
お互い様だよ!
だけどさぁ・・・あたしはただの病気じゃないんだよ・・・
こんなぁ顔になっちゃってるからさぁ・・・
いい、いいじゃねぇか!そんな顔になったって!
そんなこと俺はぁ気にしちゃいないよぉ!
そんなもんできもんがなくなりゃすぐに治るじゃねぇか!
治りゃしないよぉ・・・治ったって、跡が残るよぉ・・・
そんなことはねぇよ!そんなに酷かない!
第一こうやってみると、ずいぶん腫れが引いたようじゃねぇか!?
嘘だよぉ・・・
あたしは毎日顔見てるから分かるけど、ちっとも引いちゃいないよぉ・・・
お前は口と心が別だから嫌いだよぉ・・・
何を言ってんだよぉ!別じゃねぇ、心配してるんじゃねぇかよぉ!何を言ってるんだい!
嫌に違いないよぉ・・・お前は若いからさぁ、気の毒ねぇ・・・
あたしが死んでやれば、お前は楽になると思うんだけども、なかなか思うようには死ねないねぇ・・・・
おい!よしなよ!すぐにその死にてぇ死にてぇって!
一生懸命看病してるこっちの身にもなってみろい!
なんでそう死にてぇ死にてぇと喋るんだ!なぜだい!?
だってぇ・・・私が死ねばさぁ、お前たちが喜ぶと思ってねぇ・・・
お前たちって誰だい!?
お前と・・・お久さんだよぉ・・・
また始めやがった・・・
よくそれを言うねぇ!
あのねぇ!お久さんとあたしがなんかあったってのかい!?
あったってぇなら言ってごらん!言ってごらんよ!
そりゃぁ・・・今はないよ・・・
じゃあいいじゃねぇか!
今はないけど、あたしって人がいるからね?
なれずに我慢をしているんだよ・・・
その気持ちが分かるから早く死んでやりたいと思ってさぁ・・・
ったく!それは邪推ってんだよ!何を言ってんだよ!
こっちは構わねぇよ?向こうは一人娘じゃねぇか!婿入り前だろ?
妙な噂が立てられて迷惑がかかったら、どうすんだよ!悪いじゃねぇか!
何も知らねぇで、お前のことを心配して大変に師匠想いのいい弟子だよ?
何もないのにお前そんなに疑って、お久さんが可哀想だとそう思わねぇかい!
ほれぇ・・・お前さんはお久さんのことになると、可哀想可哀想って言うじゃないか・・・
あたしがこんな思いをしてるってのに、ちっとも可哀想には思ってくれないんだからねぇ・・・
そうじゃねぇんだよぉ!分からねぇかなぁお師匠!
やきもちもいいけれども、人に迷惑をかけちゃいけねぇ!ってことを言ってんだよ!
俺とお久さんは何にもねぇんだから!
いやぁそうじゃないよぉ・・・
二人でもって顔を見合わせてニコニコニコニコ笑ってるじゃないかさぁ・・・
あたしにはそんな顔見せてくれなかったよ・・・
そりゃあおめぇ見舞いに来てくれてるんだから、そっけない挨拶をするわけにはいけねぇよ!?
礼を言う、世間話もする、早い話が世辞じゃねぇか!
ニコニコしてなきゃダメじゃねぇか!
そうじゃねぇんだよ!もう分からんねぇかなぁ・・・
もういいよ!勝手にしなよ!
もう〜本当に・・・
はい!?だ〜れ?
ごめんくださいまし・・・
あぁ、お久さん・・・
どうも、あぁ、いやぁ、いらっしゃいまし・・・
あのぉ、お師匠様のお加減はいかがでいらっしゃいます?
いやぁどうも相変わらずなんでございますよ・・・
本当はおっかさんが伺わなければならないんですけど、店があるもので手が離せませんで伺えません・・・
よろしくと申しておりました・・・
そうですか、わざわざ恐れ入ります
それからこれなんでございますが、あのぉ本当に、お口汚しでございます・・・
お師匠さんに食べていただこうと思いまして・・・
あぁそうですか、こんなにいただいて、どうもありがとうございます・・・
それじゃあ遠慮なくいただきますけれども・・・
あぁ!いやぁどうも!豆腐ですか!
師匠の大好物でございますよ!あぁ、卵もこんなに入って・・・
おい!師匠!見てごらんよ!お前の好きな豆腐!
お久さんが持ってきてくれたよ!後で食べよう!ね?ね!?
あぁ・・・お久さんかい?
お師匠さん?ご加減いかがでございますか?
あぁ、おかげさまでねぇ、おいおいよくない方だよぉ・・・
お久さん・・・
お久!
お前さんとあたしはなんだい!?師匠と弟子の間柄だろ?それをなんだい!
師匠がこうして患ってるのに、なぜ見舞いにも来ないんだい!
おいおい!馬鹿なこと言うんじゃねぇよ!こうやって現に来てくれてるじゃねぇかよ!
あれだけ弟子が来てて、もう今誰一人来てねぇじゃねぇか!
お久さんだけだよ?今でも来てくれてんのは!
来るたんびに色んなものを持ってきてくれるんだよ!?それをお前は!
うるさいよぉ・・・うるさいから黙っておいでよお前は・・・
来てんのはわかってんだよぉ・・・でも見舞いに来てんじゃないんだよ・・・
新さん・・・お前の顔見に来てんだよ・・・
ふっふっふっふっふっふ・・・
顔見しておやりよ・・・
お久!よく見てごらんよ!
あの・・・あたくしがおりますと、お師匠様の病気に障るようですので・・・
それではこれでお暇いたします、ごめんくださいまし・・・
あ!どうもあいすいませんでございます!
おうちによろしくおっしゃってください!へい!どうも!
おい!師匠!いい加減におしよ!
影で言うならまだしもなぜ面と向かってあんなこと言うんだい!
脇で聞いてて顔から火が吹いたよこっちは!えぇ!?よしなよ!
お前顔がみたいんだったら、追っかけてってごらん?まだその辺にいるよ・・・
本当にもう、好きなこと言ってな!もう寝なよ!
寝ないでそんなことばかり考えてるからなかなか治らねぇんだよ!
いいからもう寝なよ!
無理に寝かせて足をさすってやると、すやすやと寝込んだ・・・
真景累ヶ淵~豊志賀の死を聞くなら「金原亭馬生」
金原亭馬生の「豊志賀の死」は、嫉妬に駆られた師匠の執念と怨念を描いた怪談噺である。馬生の静かな語り口が、物語に不気味な緊張感を与え、豊志賀の悲劇的な末路が一層際立つ。怪談の魅力と落語の語りの妙を堪能できる一席である。
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あ!今だ!と思って、台所へ行っておまんまを食べる・・・
お茶碗にご飯をよそって、さぁ食べようという時に、いつ豊志賀が布団から這い出たのか、豊志賀がそばへ来て、
新さん・・・
わぁぁぁ!ったぁぁ!
なんだよお師匠!こんなとこへ出てきてダメだよ寝てなくちゃ!
喉でも乾いたのかい?
こんな顔じゃ嫌だろうねぇ・・・
そんなことはないよ!寝なきゃダメだよ!
無理に寝かせてやっとの思いで、ご飯を食べる・・・やれやれと思うってと、またふっと起きて、
新さぁん・・・こんな顔で・・・
また始まったねぇ!そんなこと気にするな!
だからいけないんだ!寝なさい寝なさい!
ってんで寝かせる・・・
夜になるってと今度は寝ている新吉の上に這い出してきて、馬乗りになるってと、胸ぐらを取って、
新さぁん・・・起きなよぉ・・・
こんな顔になっちゃったよぉ・・・
目を開けるとその怖い顔が目の前にあるんで、
わぁぁぁぁぁ!!
しょうがない寝かせる、今度は脇っ腹を突っつかれて
新さぁん・・・
とやられるとてもじゃないが寝てられない・・・
こんなとこにいたら、しまいには自分が持たなくなるからなんとかおじさんに相談をしてもらおうというので、あくる日のちょうど昼前でございます・・・
あれ?お久さんじゃありませんか?
まぁ、新吉さんじゃございませんか!
こんなところでお会いするとは・・・お久さんこれからどちらへ?
あの日野谷へ買い物へ参ります・・・
あぁそうですか!こないだはどうもすいませんでした、ねぇ!
師匠がああいうことを言うもんですからねぇ、あたしも本当に弱りましたよぉ・・・
あなたがさぞ、腹を立てていることだろうと思って、あたし心配してたんですよ・・・
いいえ〜あたしはそんなことちっとも心配しておりません・・・
でもねぇ、ありもしないことをああ言われて、ねぇ?
たいそうご迷惑だったんじゃないかと気にしていたんですよ・・・
いいえ、そう言う風にいわれるのはあたくしの方は嬉しいですけども
それこそ新吉さんの方には迷惑だったんじゃないんですか?
んん、いや、あっはっは!そんなうまいことを言って!
どうも困りますなぁ・・・
あ、あ、あのお久んさんどちらへ?
あの日野谷へ・・・
あ、あぁ・・・あのここで立ち話もなんですから、ちょっとどっかへお付き合い願いませんか?
いえ、とにかくうちにいるってとね、おちおちご飯もいただけないんです
お腹がすいてますんで、どこへ行って食べたいと思っていたところなんで、ちょいとお付き合い願います?
あの日野谷へ・・・
蓮見寿司というところへ手を取らんばかりにして、お久さんを連れ込んだ・・・
サシで来たもんですから寿司屋の方も気を効かせまして、
いらっしゃい!
あっ、お二つだお二つ・・・お二階がいいよ・・・
どうぞ!遠慮せず上がってってください!えぇ!いいですから!
おい、早くご案内しなさい!
さぁさぁ、早くこちらへ!
あの、今日はあまり良いタネがありませんで
できるのがおにぎりか、ちらしぐらいでございます・・・どういたしましょう?
あぁそうですか、あの、お久さんどういう・・・
あぁそうですか、それじゃあ握りのいいのを二人前と、それからお吸い物ができましたら二つお願いしたいんですが・・・
はい、かしこまりました。あのお酒はいかがいたしましょう?
あぁ、お酒?あの二人ともお酒は飲めないもんですから・・・
と言って、何も取らないのはこれまた寂しいですから、あの、みりんを五灼ばかりいただけますか?
かしこまりました、あのご用がおありでしたら、いつでも手を叩いていただきましたら伺いますので・・・
それから、ここの戸は内側から鍵がかかるようになってますので、どうぞごゆっくり・・・
あ、あぁぁ・・・どうも・・・
ヘっへっへ・・・お久さんと二人で来たもんですから
このお寿司屋さんは妙に気を回してくださって、どうも弱りました・・・
あの・・・お久さんどちらへ?
あの日野谷へ・・・
あ、あぁ・・・お久さんとは、お茶の一杯も飲むことができないと諦めてたんですが・・・
今夜こうして、本当に嬉しゅうございます・・・ありがとうございます・・・
何を言ってるんですか、恥ずかしいわぁ・・・
あぁ、どうもあいすいません・・・
なにしろ師匠がすっかりのぼせちゃってまして、だから何言い出すか分からずに本当に困っちゃうんですよ・・・
大変ですねぇ、おっかさんがそう言っていました
「あのお師匠さんが病になるというのも、新吉さんゆえだから仕方がないけれど、それにしてもよく看病をしている」とおっかさん褒めてました・・・
いえ、そんなことはないんですけれども・・・
看病もいいんですが、素直にこっちの言うこと聞いてくれりゃいいんですが、なにしろもう嫌なことばかり言うんですよ・・・
こんな顔になった、こんな顔になったって夜も昼も攻められると、あたしも本当に怖くなりましてね、このままだとこっちも気がおかしくなっちゃいますんで・・・
しばらくどっか下総の方にでも行こうかと思って、そのことでおじさんのとこへ相談へ行く途中だったんですよ・・・
下総へ?
えぇ、まあ親戚じゃないんですけれども、ちょっとした知り合いがいるんで、そちらの方に少しばかり置いてもらおうかと思いましてね?
そうでしたか・・・
あたしも家にいて、おっかさんに嫌なことばかり言われておりまして
私のようなぼんやりとした娘でも度重なると我慢のならないことがございます・・・
それで、叔父が下総の羽生村におりますので、こないだそのことで手紙を出しましたところ
そんなとこにいないでこっちへ来い、面倒を見てやるから
そんなとこにいないでこっちへ来い、面倒を見てやるから
と言ってくれたんですけど、なにしろあたくし一人で下総まではとても無理でございますので・・・
あぁ〜羽生村?
あぁ〜!そういえば、お久さんのうちは羽生屋さんでございましたなぁ!
そうですか!なるほどねぇ、やっぱり下総へいらっしゃりたい?
そうですか・・・
大変ですよ、女一人ってのは・・・
まあ師匠はあたしとお久さんのこと、怪しいと思ってるんです・・・
ヘッヘッヘ・・・どうも、もし本当に怪しいんでしたらね?
お互い手をとって下総へ行こうなんて粋なことになるんですが・・・
まあもしね、そういうことができれば
たとえ何を言われたって、言われ甲斐が・・・あるってもんですが・・・
あぁ・・・新さんにはお師匠さんという大事な人がいるのに
そんなことたとえ冗談でもそんなこと言っちゃ申し訳ありませんよ?
え?えぇ!で、ですからもしですよ!
えぇ、本当ならばということで・・・
ううん・・・
お久さん・・・
あたしじゃあ・・・たとえでも嫌ですか?
んん・・・別に嫌じゃありませんけれども・・・
何もないのに、何もないのにそんなこと言われたって・・・
それじゃあ・・・あるようになろうじゃありませんか!
え?
だっていきなりそんなこと言われたって、あたくし困ります・・・
お久さん!あたしはね!前々からお前さんのこと想ってたんだ!
お前さんさえよければ、下総へ連れて行くよ!
本当に!?
嘘じゃねぇよ!今こっからだって構わねぇよ!
だって・・・
だって新さんがいなくなっちゃったらお師匠さんは野たれ死にしますよ!
そらぁ仕方がありませんよ!
あんなとこにいたら、あたしだってどうなるか分りませんよ!?
それにあたしだってすることはしたんですよ?師匠だって悪いんです!
一緒に下総へ行きましょうよ!
でも、病気のお師匠さんを残して行っちゃ、義理が悪いじゃありませんか!?
そりゃそうです!そりゃそうですけど、こうなったら義理も何も構いやしませんよ!
誰に何を言われたってあたしはお久さんを取る・・・!!
本当に?
そ、それじゃあお師匠がどうなっても・・・いいんですか?
え、えぇ!構いやしませんよ!
そうですか・・・
新さんお前さんという人は・・・
不実な人ですねぇ・・・
と急に言われたんで、ひょいと見るってと、お久の目の下のところにポツっと何か出来物ができたなと思うってと、これがどぉーんと腫れ上がって、紫だって青黒くなった・・・
もう豊志賀の顔そのまんまで!
新さぁ〜〜〜ん!!
とまた胸ぐら掴まれたんで、ひゃーー!っと向こうへ突き飛ばしておいて、戸をバァーン!っと蹴破った・・・
はしご段を駆け降りたのか、転がり落ちたのか、無我夢中でもって走っておじさんのところへやってきた・・・
真景累ヶ淵~豊志賀の死を聞くなら「金原亭馬生」
金原亭馬生の「豊志賀の死」は、嫉妬に駆られた師匠の執念と怨念を描いた怪談噺である。馬生の静かな語り口が、物語に不気味な緊張感を与え、豊志賀の悲劇的な末路が一層際立つ。怪談の魅力と落語の語りの妙を堪能できる一席である。
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おじさーーん!おじさーーん!おじさん!おじさん!
うるせぇなぁ!誰だ?えぇ?新吉か?
本当にもうしょうがねぇなぁ!わかったよ!今開けてやるよ!
おじさん!早く開けてください!早く!
分かった分かった!今開けてやるから本当にしょうがねぇやつだなぁ!
わぁっ!っとぉ!なんだ乱暴なやつだなぁ!人を突き飛ばしやがった本当に!
はぁ〜あ!どうしたんだよ!
はあ〜南無阿弥陀南無阿弥陀南無阿弥陀・・・
人の家に上がりこんで、いきなり念仏唱えてやがる・・・
おめえだってもう子供じゃねぇんだぞ?
お前あの大病人の師匠を放って、ひょこひょこ出歩いてどうすんだよぉ!
少しは考えなよ!
師匠がなぁ?来て話を聞いてみりゃもっともだ!
あたしと新さんは心得違いでもって歳の違った新さんとああいう仲になってしまって
それがためにみんな弟子は下がって、その日の暮らしにも困るようになりました・・・
その上!この病でございます!
これはほとほと弱り果てましたが、新さんが一生懸命看病してくれたんですが
悋気が元であたしが妙なことばかり言うので、飛び出していったに違いありません・・・
一人になって初めて気がつきましたが、何としてもあたしから出たことだから
新さんとはすっぱり切れて、そして病気を治してから
今度また稽古を初めて、今まで辞めてった弟子の半分でも戻ってくればなんとかなるだろうから・・・
そうすればもう新さんとは兄弟付き合いをして、あの人の好きな人を嫁にもらう。
そうなれば自分は姉のつもりでもって、月々いくらずつでも付けてやりたいが今新さんに出て行かれるってと、野たれ死にをするから・・・
もう決して嫌なことは言わないから、辛抱をして病気の治るまで看病をしてもらいたい、おじさんからそう言ってください
と師匠が俺の膝にすがって泣くじゃねぇかぁ・・・
そりゃあ・・・嫌だろ?分かるよ・・・
あの顔でなんか言われちゃあ怖いよ・・・分かる!
でもなぁ!こっちは貧乏で何にもできない時にだよ?
師匠がおめぇの面倒を見てくれたんだ!なぁ?
おめぇだって考えてみなよ!羽織の一枚も着て周りから新さん新さんって言われてた!
それもみんな師匠のおかげじゃねぇか!
その恩ある師匠が患ってるんだ!ちゃんと世話をしてやらなくちゃ世間様に義理が悪いぜ本当に・・・
まあまあとにかく早く帰って、優しい言葉のひとつでも掛けてやって安心させてやりなよ!
え?おじさん・・・
ってことは師匠はここへ、来たの?
来たのじゃねぇよ!おめぇの行き先は必ずここに来るだろうってんで、さっきここへ来て三条で待ってんだよ?
・・・う、嘘だ・・・嘘だよ・・・
あんな大病人がここまでひとりで来れるわけがない!
来れるわけがねぇたって、来てるんだよぉ!本当に・・・
師匠!?あの新吉が来ましたよ?
今よくそう言ってやりましたんでね!今そっちに挨拶に行かせますから!
ほら!早く行くんだよ!
そ、そんな・・・そんなはずは・・・
おっかなびっくり三畳の所へ行ってみるってと、なるほど豊志賀がいつもの寝巻き姿でもって、そこにいる・・・
ど、ど、どうしたの!?よくここへひとりで来られたね!
目ぇ覚ましたら・・・お前がいないんだものぉ・・・
きっとおじさんの所だと思ってさぁ・・・
お隣へ頼んで、四つ手駕籠で運んできてもらったんだよぉ・・・
ねぇ新さん・・・逃げないでおくれよぉ・・・頼むから看病しておくれよぉ・・・
なんだよぉ!俺だって何も看病するのが嫌だってんじゃねぇよぉ!
こっちは一生懸命看病してんのに妙なこと言うだろ?
こんな顔になっちゃっただとか、ああでもこうでもねぇってやきもち妬いたりよ!
だから俺は嫌なんだよ!
おい!病人に小言を言うやつがあるかい・・・本当にしょうがねぇなぁ!
師匠?勘弁してくださいよ?まだ子供っ気が抜けてねんだ!
よく言っておきましたから大丈夫ですよ?
今ね!新吉に送らせますから!駕籠を装いましたから!
四つ出駕籠だと体が痛かったでしょ?
まあまあ師匠!そんな話はまた後のこと・・・
何しろ病を治すのが先だよ?
そうなったらまた相談ということにして、ね?
はーい!駕籠屋さんかい?すまねぇな!
あのちょいと裏へ回ってくれねぇか!乗る方はちょいと体の具合が悪いんだよ!
店の前だと煙草の箱なんかあって、乗るのに厄介だから裏へ回っとくれ!
大丈夫入れるから!材木ある脇を回るんだ!
角から三軒目だ!開けておくから分かるよ!?
さぁさぁ新吉!今駕籠屋が来るから裏の方開けときな!?
それからな、そこに大きな座布団あるだろ?
駕籠屋さんが来たらそれ渡して!それ敷いてもらえ?その上に師匠を乗せるんだ!
おう!ご苦労さん!ん、そこだそこだ!
すまねぇけれどもな、その布団中に敷いてな?乗る方が病人だからね?よろしくお願いしますよ!
師匠・・・あのね!野郎にはよーく言っておきましたから!もう不自由なことはさせません!
今までのことは私が代わってお詫びをするから、ね?許してやっておくれよ・・・
お前さんもその気になって養生しなくちゃダメだよ・・・ね?
気を長く持って、いいかい?それでよくなったら、また色々と相談しようじゃないか!
それで、三人でどっかへ遊びに行くとかさ!いやそんなことでも考えてなくちゃしょうがないでしょ?
敷いてもらったか?そうか、お前そっちから支えな!俺はこっちから支えるから!
そして、二人で抱きかかえるようにして、駕籠に乗せる・・・
駕籠の戸をピタッと締める・・・途端に、
ドンドンドン!こんばんわぁ!こんばんわぁ!
はいはい!なんですな?
煙草屋の勘蔵様のお宅はこちらでございますか!?
はい!いかにもそうです、私のところは勘蔵ですが何かお煙草でも?
いえ!そうではないんですよ!こちらへね、新吉さん来てますか!?
えぇ!みえてますよ!ちょっとお待ちください!来てますか!?
おい新吉、なんかお前の知り合いか?訪ねてきたよ?
へ?あぁそうですか、はい!今開けますから!
あらっ!どうもこれは長屋の善さんに金兵衛さんまで!なんです?
おいおい落ち着いてるよ・・・しょうがねぇなぁ・・・
おいみんな!ここにいたよ!
な、な、みんなお揃いでどうしたんです?
なんでございますじゃねぇよ全く!なんで出歩くんだあんな病人置いといて!
驚いちゃいけないぜ?
師匠死んだぜ・・・
へ?
師匠死んだよ!
師匠?死んだ?
へっへっへっへっへ!またまたそんなご冗談を!
冗談!?ふざけんじゃねぇぞ!
七軒町から大門町まで冗談を言いに夜、夜中にこうしてみんなで来るかよ!
嘘じゃないんだよぉ!
いやね、さっきうちのかかあがおめえのうちの前を通ったんだそうだ!ね?
もう辺りは暗いのに、お前さんとこには明かりがついてるよ?
お前さんの姿もないし、変だと思って声をかけたが返事がない・・・
一旦うちへ帰ってきて、お前さん気味が悪いから一緒に行ってくれってんで、こっちは明かりを持って行ったよ?
中に入ってって、寝床のところを照らしてみるってと、寝床のとこにいねぇんだよ師匠が・・・
おかしいなってんで、家の中ず〜っと見てったらねぇ!
流しのところだよ・・・
師匠は喉が乾いて水でも飲もうと思ったのかなぁ、ひとりで起きてきてつんのめったんだろう!
こう悪い方を三和土(たたき=コンクリート)の所へぶつけてさぁ!もうめちゃくちゃだぁ・・・
辺り一面血だらけだよ!急いで医者呼んだけど、来た時にはもうこと切れてたよ・・・
お前さんがいないから、長屋中大騒ぎだよ!
何しろお前さんを見つけなくちゃいけねぇってんで長屋中手分けして探してるんだ!
あたしはてっきりここだと思って訪ねてきたんだ!
本当だよ!本当に死んだんだよ!
だ、だって、それはおかしいよ・・・あの、師匠ね?なんですよ?
今ここに来てるんですよ?
き、来てるって・・・
皆、先に逃げちゃダメだよーーー!!一緒に逃げんだよ逃げる時はぁ!そばにいなーー!
ば、ば、馬鹿なことをい、言っちゃ、い、い、いけませんよ?
えぇ?何を言ってんだい!?
みんなでもって見たんだよ!?嘘じゃねぇ本当に死んだんだ!
おかしいですねぇ・・・ちょ、ちょっと待ってくださいよ?
おじさん!
なんだ?
あ、あのね?長屋の方がみえましてね?し、師匠が死んだってんですよ!
馬鹿野郎・・・大きな声でなんてことを言うんだよ!
当人の耳に入ってみろ・・・嫌な心持ちがするじゃないか・・・!!
師匠が死ぬわけねぇだろうよ!俺とおめえが現に話をしてたじゃねぇか!そんなことがあるはずない!
いえ!でもあんなに長屋の方が大勢来て、間違いなく死んだってんですよ!
だって駕籠の中にお前・・・
お、お前駕籠の中・・・ちょっと見てみなよ・・・
誰が!?
おめぇがだよ!
あ、あたしが見るんですか?そうですか・・・分かりました・・・
師匠!師匠!あぁ、あぁのねぇ!あのぉ!
お前さんとあ、あたしが急にいなくなちゃったってんでね?
長屋中のみんなが心配して来てくれたんだよ!?
ちょいと顔を見せてご挨拶をしなよ!ね!?
おい!師匠!師匠!?
おっかなびっくり駕籠の中を開けて見てみるってと、さっき入れた布団ばかり・・・
ピタッ!と駕籠の戸を閉めて、おじさんのところへ行こうと思ったんですが、腰が抜けたというより、ないも同然・・・
・・・おぉ、おぉ、おじさん!な、ない!い、いませんよ!
なに!?それじゃあやっぱり本当に死んだに違いねぇや!
よしわかった!長屋の方には私が挨拶をするよ!
どうもこんばんわ!わざわざありがとうございます・・・
いつも新吉がお世話になっております、あたくしが新吉の叔父でございます・・・
今日はこれからよんどころない用がありますんで、これからすぐ向かいますんで、どうぞお先に!
へぇ!後から追っ付けて向かいますんで!
どうもありがとうございました!へい!
はぁ・・・はぁ・・・駕籠屋さん!すまねぇな待たせて!
あの、もう駕籠よくなった!
悪い悪い!あのね、明日駕籠賃と手間賃は届けるからそのまんま帰っておくれ!
え?そうですか?さっき乗ったお女中みたいな方はどうするんです?
そ、それがね!乗ったように見せかけて実は乗ってねぇんだ!
すまないけど、今日はこのまま帰っとくれ!
そうですか!へい!分かりました!よし回ろうじゃねぇか!よっ!
ん?
やっぱり乗ってらっしゃいますよ?
へ?の、乗ってる?よく見てくれよ?
えぇ!あっしは長年の商売だから分かるんですよ!乗ってます肩にきてますから!
あれ?気のせいかな・・・乗ってませんねぇ!
そうかい!
お座布団ここにおきますよ!?へい、どうもありがとうございました!
おい、あのすぐに行かなくちゃいけないから、すぐに提灯を持ちなさい提灯を!
ちょ、提灯どうすんの!?
どうするって明かりを入れるんだ早く!そこんとこにあるから!
お前が出てくるからこういうことになるんじゃあねぇか!
馬鹿野郎本当にしょうがねぇやつだ・・・
馬鹿!ドジ!間抜けぇ!
お、おじさん、おじさんねぇ、怖い最中に小言言わないでおくれよ!
怖くって小言まで聞かされたらたまったもんじゃ・・・
うるさいよ!早くしな!
二人でガタガタ震えながら、長屋へ来てみるってと、なるほど確かに豊志賀は死んでおりました・・・
布団をあげてみるってと下から出て参りましたのが、書き置きでございます・・・
『新吉という男は誠に不実な男である・・・必ず死んで取り憑いてやる・・・もし女房をもらえば七人まではとり殺す』という真に恐ろしい文面でございます・・・
これから物語はますます佳境に入ります、真景累ヶ淵のうち豊志賀の死でございました・・・
真景累ヶ淵~豊志賀の死を聞くなら「金原亭馬生」
金原亭馬生の「豊志賀の死」は、嫉妬に駆られた師匠の執念と怨念を描いた怪談噺である。馬生の静かな語り口が、物語に不気味な緊張感を与え、豊志賀の悲劇的な末路が一層際立つ。怪談の魅力と落語の語りの妙を堪能できる一席である。
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